明治元年〜明治45年まで |
明治元年 |
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明治2年 |
日本全権と英人ネルソン・レーとの間に鉄道建設の資金英貨 300万ポンドのうち 100 万ポンドの借貨の約成る |
明治3年 |
政府、ポートマンと旧幕府が交わした鉄道建設計画を破棄 |
明治4年 |
エ部省内の鉄道掛を鉄道寮とし、その長官を鉄道頭とする |
明治5年 |
営業(仮) 5.7 品川〜横浜(現桜木町)間仮営業を開始、1日2往復とする(太陰暦5/2)6/7 |
明治6年 |
横浜発上り列車煙突の噴炭のため、蒲田付近の民家5戸焼失 |
明治7年 |
井上勝再び鉄道頭に就任 |
明治8年 |
神戸工場で,輸入車輪車軸による客貨車を製造 (客貨車国産化のはじめ) |
明治9年 |
鉄道差配役カーギルの意見で、これまで英独仏3国語で記載した乗車切手裏面告文を、和英に改正 |
明治10年 |
エ部省に鉄道寮を廃し、鉄道局を設置 |
明治11年 |
鉄道局、下等客車内での広告掲示を許可 |
明治12年 |
京浜間鉄道に日本人機関士がはじめて乗務する |
明治13年 |
新橋【汐留】駅構内に荷主向けの倉庫1棟完成
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明治14年 |
華族などが参加して、私立鉄道日本鉄道の創立が決定 |
明治15年 |
新橋〜横浜間14往復中2往復を品川,神奈川停車の「急行」列車とし45分運転(「急行」列車名称のはじめ) |
明治16年 |
貨物の1・2・3 級品にのみ貸切扱いとする |
明治17年 |
北陸線【延伸開業】柳ヶ瀬〜洞道西口(仮)間(2M29C54L≒3.81km) |
明治18年 |
日本鉄道【開業】品川〜赤羽間(12M75C50L≒20.83km) |
明治19年 |
新橋〜横浜間に上・中等に限り定期乗車券を発売(定期乗車券のはじまり) |
明治20年 |
明治天皇、皇后とともに木曽川橋りょう工事 (4.25完成)中の仮橋を渡られる |
明治21年 |
山陽鉄道会社神戸〜赤間関(現下関)間に免許状下付、4月27日会社設立 |
明治22年 |
鉄道補充費公債条例を公布し、200万円の公債募集 |
明治23年 |
濃尾地方での陸海軍連合大演習に、東海道線と武豊線で軍事輸送を行なう |
明治24年 |
横川〜軽井沢間線路を中尾線(アプト式)に決定 |
明治25年 |
日本鉄道、 鉄道庁に委託の建設・運輸・線路保全の監督および運転などを、すべて引継ぎ自営にする |
明治26年 |
横川〜軽井沢間 アプト式電気機関車の試運転 |
明治27年 |
第4回内国勧業博覧会の開催に合わせた旅客輸送を目的に民営企業として、京都電気鉄道が設立 |
明治28年 |
京都電気鉄道伏見線【延伸開業】七条停車場(後の京都駅八条口)〜下油掛(後の京橋)間、日本初の路面電車の営業運転が開始 |
明治29年 |
南海鉄道 堺〜和歌山北口間敷設免許 |
明治30年 |
京都鉄道 【延伸開業】二条〜嵯峨(現・嵯峨嵐山)間(3M65C≒6.14km) |
明治31年 |
山陽鉄道 旅客列車による急便小荷物の取扱開始 |
明治32年 |
官設鉄道旅客運賃の距離比例制を廃止し、遠距離逓減制を採用 |
明治33年 |
日本鉄道労働組合が、待遇改善ストを行う。のち要求は認められるが、28人が解雇 |
明治34年 |
山陽鉄道【延伸開業】神戸〜馬開(現下関)間全通 |
明治35年 |
日本鉄道が国に買収され国有化→官有鉄道 |
明治36年 |
上野〜青森聞直通列車2往復を約2時間短縮、最速20時間30分運転。上野〜一ノ関、上野〜福島、福島〜尻内、白河〜盛岡、一ノ関〜青森、盛岡〜青森間運転 |
明治37年 |
鉄道軍事供用令公布 |
明治38年 |
日本郵船会社 官鉄横浜〜神戸間に船車振替乗車券を発行 |
明治39年 |
宇品線 鉄道国有法に基づく山陽鉄道の国有化とともに広島〜宇品間も陸軍省から鉄道院に移管 |
明治40年 |
関西鉄道【開業】加茂〜木津間 【廃止】加茂〜大仏〜奈良間、加茂〜新木津間。本線を木津経由に変更 |
明治41年 |
山手線 烏森(現新橋駅)〜品川まで電車線が完成 |
明治42年 |
鉄道院、神戸〜大阪間で最大急行列車試運転 |
明治43年 |
鉄道院線と露国東清鉄道との間に,大阪商船大連航路,南満州鉄道,または大阪商船,露国義勇艦隊 敦賀〜浦塩(ウラジオストック)航路経由旅客・手荷物の連絡運輸を開始
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明治44年 |
(旧)阪堺電気軌道 大阪市電への直通運転区間を天満橋まで延長 |
明治45年 |
鉄道院、女学生保護のため、中央線の中野〜昌平橋間に婦人専用車を連結して運転 |