明治20年 鉄道ニュース
(東海道本線)【延伸開業】加納(現岐阜駅)〜大垣間(8M72C84L≒14.34km)1/21
明治天皇、皇后とともに木曽川橋りょう工事 (4.25完成)中の仮橋を渡られる 2/21
(東海道本線)【延伸開業】木曽川〜加納(現岐阜駅)間(4M44C78L≒7.34km)4/25武豊〜長浜間が全通途中木曽川鉄橋の建設の為、時間を要す(東海道本線)【駅名改称】名護屋→名古屋 4/25
私設鉄道条例を公布 5/18
新橋・横浜両停車場で到着小荷物の配達を始む、配達業務は内国通運会社が請負う 6/1
北陸線 米原〜長浜間開業 7/1
(東海道本線)【延伸開業】横浜(現桜木町)〜国府津間(30M73C80L≒49.76km) 7/11【新駅開業】程ヶ谷(現在の保土ヶ谷)、戸塚、藤沢、平塚、大磯、国府津日本鉄道 【延伸開業】黒磯〜郡山間 7/16上野〜郡山間2往復最速7時間45分運転碓氷馬車鉄道 前橋市の有志2人が発起人となって会社設立。横川〜坂本間敷設特許認可 7/
(武豊線)資材運搬線【駅廃止】緒川 大高〜亀崎間、【新駅開業】大府 9/10
伊予鉄道設立 9/14
営業線路従事員服務規程(全463条)制定 10/
鉄道局で年報(19年度)を発行 10/
国府津〜湯本間の馬車鉄道敷設の請願書を神奈川県に提出 11/20
東京電燈東京の日本橋茅場町から電気の送電を開始 11/
京都〜神戸間停車場電信局で海外電報の取扱を開始 12/7
日本鉄道 【延伸開業】郡山〜仙台〜塩竈(のちの塩釜線塩釜港駅)間塩竈【駅開業】12/15上野〜仙台間1往復12時間20分運転,上野〜福島間1往復設定碓氷馬車鉄道 簡易馬車鉄道敷設の工事認可 12/28
【新駅開業】本宮、二本松、松川、福島、桑折、白石、大河原、岩沼、仙台、塩竈
硫黄鉱山専用鉄道として、標茶駅(現在の釧網本線標茶駅付近) 〜 跡佐登駅間で開通 12/
釧路鉄道開通 12/
(釜石鉱山馬車鉄道)この前年、日本国内初の高炉による連続出銑に成功したのを踏まえ、7月に釜石鉱山田中製鉄所が設立
鉄道関連事件、事故 明治20年
世相 明治20年
ブッセ、ハウスクネヒトの両人、帝国大学に着任 1/9
皇后、婦人の洋装を奨励する思召書を出し、華族婦人などで洋装が広まる 1/17
東京電灯会社が移動式発電機を使って鹿鳴館に白熱電灯を点灯。これ以降、電灯設置営業が進む 1/22
日本基督教系の学校3つが合併することによる明治学院の創設が認可される 1/22
地方制度編纂委員会設置 1/24
大阪撚糸会社設立 1/29
逓信省、郵便マークに「テ」を定めるが、外国では料金未払いの意味だと判り、まもなく「〒」とあらためる 2/8→現・日本郵政
徳富蘇峰、民友社を興し、雑誌「国民の友」を創刊 2/15
彫刻競技会、東京彫工会と改名 2/ 明治天皇、海防の整備のために、御手許金30万円を下賜 3/14
伊藤博文、柳原前光、井上毅、伊東巳代治ら、皇室典範、皇族条例草案を検討 3/20
所得税法公布 3/23
海防整備費用の献金を府県知事に訓示して、地方有志から集めさせる 3/23
陸軍、東京と静岡県久能山の間を使って伝書鳩の実験を行い成功 3/23
明治20年 3月24日 勅令 海上法ノ要義ヲ確定スル為メ西暦1856年4月16日巴里公会ニ於テ決定セシ宣言 3/24 日本郵船の官有株式260万円を皇室財産へ 4/9
文部省、仙台に第2高等中学校、金沢に第4高等中学校を設立を決定 4/18
首相官邸で、首相主催による過去最大の大仮装舞踏会が開催。批判が相次ぐ 4/20
条約改正会議で、欧化政策に基づいた法典と外国人も参加した司法制度の整備を行うことで、治外法権撤廃を決定 4/22
木曽川橋梁完成 4/25
紋鼈製糖所を伊達邦成らに貸下げる(90年3月に払下げ)。これに合わせて紋鼈製糖会社 4/25
井上馨外相邸で、天覧歌舞伎興行を行い、国内外の関係者が観劇。演目は「勧進帳」ほか 4/26
東京人造肥料会社設立。後の大日本人造肥料 4/28
ロエスレル、憲法私案を法制局長官井上毅に提出 4/30
浅野総一郎、浅野回漕部を設立。後の東洋汽船 4/
この月、塵芥取締規則が制定され、ゴミ回収業が始まる 4/ 京都織物会社設立 5/5
叙位条例を公布し、正1位から従8位までの16階を定め、従4位以上を勅授として爵に準じる礼遇にする 5/6
→叙位条例(中野文庫参照) 参考 位階 板垣退助、大隈重信、勝海舟、後藤象二郎を伯爵に、他13人を子爵に叙する。板垣のみ、一旦辞意を表明した後、授爵 5/9
大阪織布会社設立 5/11
取引所条例公布。これにより米商会所条例と株式取引所条例は、営業が満期になった時点で廃止 5/14
学位令公布。最初の学位は、大博士、博士の2種類 5/21
井上毅法制局長官、憲法草案甲案を提出 5/23
黄綬褒章制定 5/24
文部省、熊本に第5高等中学校を設立を決定 5/30 首相伊藤博文をはじめ、伊東巳代治、金子堅太郎らが、また遅れて井上毅が参加し、憲法草案検討を開始 6/1
司法省顧問ボアソナード、条約改正検討案の裁判管轄条約案に反対する意見書を提出 6/1
軍事参議官条例公布 6/2
長崎造船所、郵便汽船三菱に52万7000円で払い下げ 6/7
待合酔月楼の女将花井お梅が、使用人八杉峰吉を刺殺。芝居化 6/9
陸軍幼年学校設置 6/15
博文館開業 6/15
陸軍各兵科現役士官補充条例公布 6/16
京橋で外人を含めた相撲興行が行われる 6/18
ノットと田中舘愛橘、全国の地磁気測定を開始 6/23
新橋と横浜の両駅で小荷物の配送が始まり、内国通運に配達事務を委託 6/東京−各鎮守府間、各鎮守府−各鎮台間の道路を国道に編入する件が公布される 7/2
気象台測候所条例が公布され、東京には中央気象台が設置される 8/8
農商務相谷干城、裁判管轄条約案に反対する意見書を提出 7/3
横浜正金銀行条例公布 7/7
洋画家山本芳翠、フランスから帰国 7/12
井上馨外相、第27回条約改正会議で、裁判管轄条約修正のため本会議を12月まで延期することを発表 7/18
東京火災保険会社が設立。後の安田火災 7/23
文官試験試補及見習規則公布 7/25
谷干城、裁判管轄条約反対で辞職 7/26
条約改正交渉無期延期を政府が決定し、井上馨外相が各国公使へ通告 7/29
官吏服務規律改正 7/30
洋画家原田直次郎、ドイツから帰国 7/
逃亡犯罪人引渡条例公布 8/10
福陵新報創刊。のち九州日報 8/11
伊藤博文、黒田清隆に大隈重信を外相につけるよう大隈と交渉。大隈、議会開設後8年以内の政党内閣制樹立を条件に出し、伊藤はこれを拒否し、説得失敗 8/14
関東から東北にかけて皆既日食 8/19
本願寺普通教校生徒らが、「反省会雑誌」を創刊。のちの中央公論 8/
井上円了、私立哲学館を開校。後の東洋大学 9/16
井上馨外相、条約改正交渉の破綻により、辞職。伊藤博文が臨時で兼任 9/17
石井十次、岡山に孤児院を設立 9/22
日本麦酒醸造会社設立 9/
沖縄県尋常師範学校に天皇・皇后の最初の御真影が下付 9/後藤象二郎、丁亥倶楽部を興し、民権運動団体の糾合を目指す 10/3
大阪府で、かつて堺県の一部となっていた奈良県が再度分離 11/4
丁亥倶楽部による大同団結について、各党の関係者が協議 10/4
文部省図書取調掛を東京美術学校とし、音楽取調掛を東京音楽学校とあらためる。両校は後の東京芸術大学の前身 10/5
横浜に上下水道が完成。給水人口は10万人 10/17
諸県の代表が東京に会合し、建白書提出について協議 10/29
民権運動を行っている片岡健吉ら、地租軽減・言論集会の自由・外交失政の挽回を謳った「三大事件建白書」を元老院に提出 10/
浅草六区に高さ32mの富士山の模型が置かれ、見せ物興業が行われる 11/6
警視庁、屋外集会及び示威運動の3日前届け出を命令 11/10
金光教、神道本局6等直轄教会として合法化 11/21
東京電灯会社が市内配電を開始 11/29
法律取調所を司法所へ移管する 11/ 東京手形取引所が開設 12/1
竜也会、日本美術協会と改称 12/4
島津久光死去 12/6
倉敷紡績所の設立許可が出される 12/17
勅令 海底電信線保護万国連合条約ノ説明書 12/22
保安条例公布。即日施行。同条例違反に当たる民権運動家ら570人が次々と東京追放処分 12/25
伊藤博文、大隈重信に外相就任の再交渉を行う 12/27
新聞紙条例、版権条例がそろって改正され、新聞紙発行届出制度が始まる一方、脚本・楽譜などにも版権が認められることになる 12/28
帝国生命保険会社設立 12/28 関連 朝日生命
日本画家渡辺小華死去 12/29 先住民はアイヌかコロポックルかの先住民論争が起こる。