国鉄民営化そしてJRへ

国鉄は、昭和62年4月115年の国有鉄道としての歴史が終わり、JR東日本・JR東海・JR西日本・JR北海道・JR四国・JR九州の6旅客鉄道株式会社と全国1社体制のJR貨物、研究施設のJR総研、その他JRシステム・JR電話(後に日本テレコム・現ソフトバンクテレコムに吸収)に分割され、新幹線については新幹線保有機構と呼ばれる新幹線をリースする組織と国鉄本来の法人である清算事業団(国鉄)が誕生しました。
清算事業団には、国鉄改革時に新会社に採用されなかった職員が所属し、3年以内に再就職先を斡旋することを目的としたほか、主な目的として国鉄が保有する土地について売却の上債務返済に充てると言う業務を担っていましたが、バブル期と言うことで、土地価格上昇を抑制させる目的から汐留駅跡地など多くの1等地を売却する時期を失ってしまい、結果的に清算事業団の債務は30年を経てようやく目処が付いたと言われています。
昭和62年〜平成19年12月末まで
昭和62年4月〜6月末まで 国鉄分割民営化に伴い、JR各社および新幹線鉄道保有機構発足
昭和62年後半 西日本旅客鉄道が、「新快速」に弱冷車を設置
昭和63年前半 青函トンネル&備讃瀬戸大橋開通、日本一本列島でキャンペーン
昭和63年後半 オリエント急行 日本国内を初走行 10/24〜
平成元年前半 JR西日本、日本の鉄道事業者で初めて本格的な前照灯の常時点灯を実施
平成元年後半 寝台特急「トワイライトエクスプレス」運転開始 7/21等
平成2年前半 伊豆急行、「ロイヤルボックス」を連結した「リゾート21EX」運転開始
平成2年後半 JR四国高松駅で、TSE2000系でローレル賞授賞式
平成3年前半 JR東海と新宿〜沼津間で相互乗り入れ開始。あさぎりを特急に格上げ
平成3年後半 北陸本線 田村〜長浜間を交流電化から直流電化に変更
平成4年前半 JR東日本が鉄道文化財団を設立
平成4年後半 JR西日本500系(WIN350)が最高時速350.4kmと記録更新
平成5年前半 JR東日本 文化遺産を後世に伝えるために、蒸気機関士の本格的な養成を開始
平成5年後半 東京モノレール羽田線【延伸開業】整備場〜羽田空港間
平成6年前半 北海道旅客鉄道 ダイヤ改正。キハ281系気動車が運転開始
平成6年後半 JR西日本、JRグループで初めて女性車掌登場
平成7年前半 山陽新幹線他JR各線、阪神・阪急その他各私鉄、淡路大震災により不通
平成7年後半 宝塚本線で能勢電鉄日生中央駅まで乗入 直通特急日生エクスプレス運転開始
平成8年前半 JR九州を含む三島会社が運賃を改定 1/10
JRグループの日本全国同一運賃体系が崩れ、運賃格差が発生
平成8年後半 JR東海、磁気浮上式鉄道山梨リニア実験線発足
平成9年前半 秋田新幹線開業 秋田新幹線「こまち」運転開始
平成9年後半 長野新幹線【開業】 高崎〜長野間 (117.4km)
平成10年前半 阪急電鉄、山陽電鉄との相互直通運転を中止
平成10年後半 「成田エクスプレス」の池袋駅発着列車の一部が東北貨物線を経由し大宮延長
平成11年前半 700系「のぞみ」登場。この頃から長距離「ひかり」にも300系を投入
平成11年後半 新幹線0系電車の東海道新幹線での運用がこの日をもって終了
平成12年前半 JR東海「のぞみ7.ひかり2.こだま3」の体制に移行と発表
平成12年後半 「交通科学博物館(現・京都鉄道博物館)」 イギリス・ヨーク・イギリス国立鉄道博物館との姉妹提携を締結
平成13年前半 上越新幹線にE4系2階建て車両「Max」を投入、運用開始
平成13年後半 横須賀線・東海道線から新宿駅を経由して宇都宮線・高崎線へと直通する新ルート(湘南新宿ライン)開業を発表
平成14年前半 東京モノレール、日立物流が株式をJR東日本に70%、日立製作所に30%譲渡し、JR東日本の子会社となる
平成14年後半 三重県知事が北勢線の鉄道存続に向けて支援する旨回答
平成15年前半 能勢電鉄 阪急電鉄との運営一体化がスタート
平成15年後半 100系が東海道新幹線から引退。カフェテリアも廃止
平成16年前半 JR東海 山梨リニアの速度記録がギネスブックに認定と発表
平成16年後半 東日本旅客鉄道・西日本旅客鉄道 Suica 、ICOCAの相互利用開始
平成17年前半 東京地下鉄半蔵門線 女性専用車導入(東京メトロでは初)
平成17年後半 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線開業
平成18年前半 富山ライトレール開業
平成18年後半 阪急ホールディングスと阪神電鉄が経営統合、阪急阪神ホールディングスに
平成19年前半 三毛猫の「たま」が貴志駅の駅長に就任
平成19年後半 N700系電車が「のぞみ」で営業運転開始

年表(昭和時代)

年表