国鉄気動車発達史

こちらでは、国鉄気動車発達史というタイトルで書かせいただきました、blogのindexになります。
    1. 気動車発達史 1
      気動車の歴史を振り返るとき、第一号と言えるのは、蒸気動車と呼ばれるものが最初で、湊町〜橿原間に運転開始されたものが最初と言われています。
      蒸気機関車の小型版のようなもので、ボイラーで発生した蒸気により車輪を駆動するもので、ハンガリーガンツ社製で4両(2両と言う記述もあり、また関西鉄道時代に導入されたようで、その後国鉄で使用)が輸入されたと記録されています。
      ただし、ガンツ式は構造が複雑で、当時の日本の技術力では整備しきれなかったとも言われています。
    2. 気動車発達史 2 戦前の機械式気動車 三態
      昨日も書きましたが、電気式気動車は重量が重く、日本の鉄道には不向きであり、国鉄としては、ローカル線用としてキハ41000やキハ42000を製造していきました、ただ、機械式の最大の欠点は重連運転が出来ない事でした。
      重連運転をしようと思えば、前後の車両に運転士が乗務する必要があり、汽笛でタイミングを図りながら運転していましたが、精々2連が限界であり、江若鉄道で夏場の海水浴シーズンに3連と言った記録もあるようですが、実際にまともに運転が出来たのか気にかかるところではあります。
    3. 気動車発達史 3 戦前の電気式気動車
      キハ43000その後
      キハ43000は、完成後試験に供されたようですが、自動車の水平対向エンジンでも弱点として指摘されている、「水平シリンダー配置の場合には、シリンダー内面の不均一な潤滑油膜による偏摩耗など、潤滑に起因する問題」が発生し、当時の技術力では十分にカバーできなかった部分もあったようです。
      【前述】。
    4. 気動車発達史 4 天然ガス動車
      戦後のあだ花 天然ガス動車
      本日も気動車史をご覧いただこうと思います。
      今回は、戦後のわずかの間だけ活躍した天然ガス動車のお話をさせていただこうと思います。天然ガス動車自体が活躍期間も短かったこともあり、あまり資料も探せなかったのですが、できるだけ技術的な話を中心にまとめさせていただこうと思います。
    5. 気動車発達史 5 戦後の電気式気動車
      電気式気動車の試作、再び
      戦前試作された、キハ43000はエンジンの振動が大きく、試作品としては成功とは言えず戦後は復旧すること無く浜松工場の職員輸送用として先頭車が使用された他。中間車は電車用サハとして一時期活用されたようですが。結局キハ43000系列は戦後は振り返られることはありませんでした。
      キハ43000に使用されたエンジンは、戦後再び縦型に設計変更され、DD13形機関車に搭載されました。
      その後改良が進められたDMF31エンジンは500PSとなりました。
    6. 気動車発達史 6 10系気動車の始祖 キハ17系気動車を中心にしたお話
      本日は、液体式気動車の決定版となった、キハ45000(後のキハ17)についてお話をさせていただこうと思います。
      キハ45000形は、分割併合も考慮した貫通スタイルとして、キハ44500をベースにした車両ですが、側面は電気式のキハ44100と同様の両端にドアがある構造になっていました。
    7. 気動車発達史 7 高出力機関気動車の試作
      キハ44600の試作と失敗
      キハ44600(キハ50)形は、昭和29(1954)年に2両が試作されました。定員134人(座席92人、立席42人)でDMH17エンジンを初めて2台積んだ気動車でした。(当時の資料、交通技術。昭和30年1月号による)
      このような気動車が誕生した背景には、DMH17系エンジンの出力不足がありました。
    8. 気動車発達史 8 キハ44800(キハ55)の開発と発展
      本格的準急気動車の誕生
      連日、気動車発達史として書かせていただいておりますが、今回は本格的準急気動車キハ55を取り上げたいと思います。
      キハ55は、キハ44600の成功を受けて、10系客車の軽量化の手法を応用した車両で、先行試作車としてキハ44800(後にキハ55に編入)が昭和31年に3等車のみ5両が試作、完成後は日光線に投入されています。
      日光線にこうした新車が導入された背景には、当時は国鉄と東武の間で激しい競争を繰り返していたからであり、東武が1700系電車を投入したことで更に苦戦に立たされることになりました。
    9. 気動車発達史 9 一般形気動車 キハ20系の誕生
      キハ55の成功を受けて
      キハ44800(昭和32年の称号改正でキハ55)が製造されたのですが、この車両から車体幅が2800mmまで拡張されることになりました、キハ55の車体幅を大きく出来たのは車両の軽量化によると書かれている記事が多いのですが、それ以上に車両限界の拡張が行われたことも大きいようです。
    10. 気動車発達史 10 高出力気動車の試作 キハ60形
      キハ60に搭載されたDMF31系エンジン
      戦後、気動車のエンジンはDMH17エンジンの改良と言う形で進められていきました。
      DMH17エンジンに過給器を接続して250PSまで引き出して機関車用として羽後交通のDC2に使用されたり、過給器並びにインタークーラーを付けて出力を300PSまで引き上げた DMH17SBと言う機関も存在したそうで、こちらも機関車用エンジンとして、釧路臨港鉄道D501や岩手開発鉄道DD43形に使用された実績があります。 国鉄ではDMH17系エンジンを機関車に採用した例は、DD11のみ(DD11も、元々は白棚線用に開発された機関車であり、キハ10000(後のキハ01)共々、戦後路線を復活させるに際してもその程度の輸送力であったということで、既に鉄道としての使命は終わっていた路線だったのかなと改めて思ってしまいます。
    11. 気動車発達史 11 特急形気動車の開発
      本日は、気動車発達史として特急気動車の開発についてお話をさせていただこうと思います。
      日本最初の特急気動車が誕生したのは、昭和35(1960)年でした、設計から製作までの時間が短かったのですが、これは後述しますが、アジア鉄道首脳者会議(ARC)の展示物として計画されたものでした。
      少し気動車のお話から外れるのですが、「アジア鉄道首脳者会議」について少しだけ語らせていただこうと思います。
    12. 気動車発達史 12 特急形気動車の発展 キハ82のお話を中心に
      キハ81形誕生当時の話
      キハ81形は、地方非電化区間の特急列車を走らせる目標を達成させることが出来ましたが、ARC第2回会議の目玉にしようとしたため、結果的に走り込みの期間が短かくなり、初期故障を出し切れなかった事が、原因で有ったといえそうです。
      当時の鉄道ピクトリアル、12月号を参照しますと、ARC第2回会議の目玉にしようとして、昭和34年末頃から設計が始められて、昭和35年の9月には落成しています。
      鉄道車両の場合は、早くても半年程度は製造にかかるため。正直かなり厳しいスケジュールだったと思います。
    13. 気動車発達史 13 急行形気動車の開発と発展 キハ28・58 第1話
      皆様、本日も気動車発達史と言うことでお話をさせていただこうと思います。
      今回は、国鉄時代、急行形の代表格、キハ28・58形を取り上げてみたいと思います。
      キハ44500でスタートした、液体式気動車は非電化区間における無煙化のエースとして発展を続けてきました。
      DMH17系エンジンは改良により180PSまでアップしたとはいえ、非力であることは否めず、勾配区間では極端に速度が下がってしまうと言う問題がありました、その問題もDMH17系エンジンを2台搭載することで暫定的な解決を図る事が出来ました。
    14. 気動車発達史 14 急行形気動車の開発と発展 キハ28・58 第2話
      キハ58系の系列は、何故キハ56とキハ57が先に製造されたのか?
      キハ58系列は、総数1,823両が製造され日本全国で見ることが出来た急行気動車でした。晩年は、普通列車などに使われることも多かったのですが、最初に作られたのは北海道向けのキハ56系列であり、その後製造されたのは信越線用のキハ57系列でした。
      北海道向けが最初に作られたのには理由がありました。
      それは、北海道に優等列車向けの気動車が無かったからでした。
    15. 気動車発達史 15 急行形気動車の開発と発展 キハ28・58 第3話
      全国で1000両以上製造された名車、キハ28.58
      国鉄形の急行形気動車の顔と言えば、キハ28・58で異論は無いでしょう。
      昭和27年当時のキハ44500がデビューした頃は2.6mの車体幅で高さも低く全体に貧相であった気動車もエンジンの出力は僅かに20 PS増えただけですが、車体幅は2.95mと特急車両と遜色なくなり、キハ55譲りの21.3mの車体長は全体に余裕のあるレイアウトを生み出すことになりました。
      キハ28・58形気動車は、1000両以上製造され、晩年はローカル列車にも投入されましたが、本当に日本を代表する気動車と言えました。(キハ56・57を含めた延滞では1818両が実に昭和35年度から昭和43年度までに製造されました)
    16. 気動車発達史 16 キハ58形気動車の誕生 修学旅行用800番台誕生
      キハ28・58は急行用の代表的な形式として活躍しましたが、修学旅行用としてもキハ28・58が製造されました。
      修学旅行用として製造されたのは、キハ58形19両とキハ28形13両の合計32両で、昭和37年(1962)〜昭和38(1963)年にかけて製造されました。
      最初に導入されたのは、九州であり、利用債を引き受けて貰うことで実現したもので、159系に準じた内装で、159系のように2+3では無く一般的な2+2でしたが、155系でおなじみの跳ね上げ式テーブルを設置した他、客室内速度計を設置していました。
    17. 気動車発達史 17 キハ35形通勤形気動車の誕生
      本日から、キハ35形通勤気動車のお話をさせていただこうと思います。
      キハ35形気動車と、便所の設備を撤去したキハ36、両運転台のキハ30があり、寒冷地向けの500番台や、オールステンレス車体として試作された900番台があります。
      通勤用気動車の誕生
      さて、キハ35形気動車が誕生した背景ですが、通勤対策が大幅に遅れていることが原因でした、その辺の事情を天王寺鉄道管理局三十年写真史に求めてみますと、下記のような記述が見られました。
      全文引用させていただきます。
    18. 気動車発達史 18 キハ90形気動車の開発 試作車編
      長々と続けておりますが、今回は新系列気動車の基礎となった、キハ90・91のお話をさせていただこうと思います。
      車両に関しては結構見つかるのですが、肝心のDMF15エンジンとかFDML30HS系エンジンに関する資料が手元に無くて・・・。
      その辺りの不明な点は補足いただければ幸いです。
      高出力気動車用エンジンの開発と挫折
      さて、国鉄でもDMH17系エンジンによる保守費の増加や製造コストが高くなることに対してはかなり問題意識はあったようで、DD13で使われていたエンジンを再び横型にした、DMF31Hエンジンによる、キハ60形が試作されました。
      出力的には十分なものであり、新機軸を【充排油式】の液体変速機や、2軸駆動などの新機軸が取り入れられましたが、変速機の問題【直結と変速の切り替わりのタイミングが合わず、過大な衝撃負荷によるクラッチ破損等】問題があり、量産はされることはありませんでした。
    19. 気動車発達史 19 キハ90形気動車の開発 2 量産試作車編
      量産型キハ91誕生
      キハ90形並びにキハ91形は新製後、千葉区に配属され検討された結果、大出力のDML30系エンジンを今後の気動車の標準エンジンとすることが決定されました。(在来気動車との併結の際は、読み替え装置が設けられていたそうです)
      高出力エンジンを使用することで、付随車を随時挿入することが出来るほか、冷房用エンジンを設置するスペースを確保できることで経済性が高まると言う判断でした。
    20. 気動車発達史 20 従来型気動車の居住性を改善したキハ45誕生
      国鉄初の近郊形気動車誕生
      国鉄では、昭和41年から113系に準じた気動車を投入することとなりました。
      今までの一般形と呼ばれた気動車は、片開き式の1枚扉でしたが、キハ45は113系のような両開き扉を採用した車両
      前面はキハ58系に似た前照灯が2灯付いたスタイルを踏襲、窓は113系と同じパノラミックウインドウを採用していました。
      ただ、車両幅は今までの一般気動車と同じ2800mm【正確には2803mm】であり車体長はの21.3m【キハ55以降この長さが国鉄・JR共に気動車の標準寸法となったようです。】となりました。
      これは、2機関搭載のキハ53をベースに設計を行ったからだと言われています。
    21. 気動車発達史 21 高出力特急気動車 キハ181系誕生
      特急用気動車 キハ181系誕生
      昭和43年10月の改正で、中央西線に特急気動車による高速運転が計画され、その目的達成のために計画されたのが、キハ181系特急気動車でした。
      既に、特急気動車としてはキハ80系気動車が走っていましたが、DMH17Hエンジンは1台あたりの出力が180PSと小さく、同一エンジンを普通列車も特急列車も使用することで得られたメリットも多かったのですが、特急気動車の場合編成あたりの出力は6.5PS/tにしかならず、平坦線でも100km/h 、25‰の勾配線区では42km/hしか速度が出ず、そこで昭和37年度から新系列気動車の開発が進められ、昭和41年には試作車としてキハ90(300PS)並びに、キハ91(500PS)が試作され、翌昭和42年には、量産型試作車として、キハ91形【キハ91−7両、キサロ90−3両が試作されました。
    22. 気動車発達史 22 高出力気動車再び キハ65系急行気動車
      急行列車の冷房化推進
      昭和40年代になると、生活水準は向上し、急行用1等車【グリーン車】も冷房化が進み、旧2等寝台のマロネ29やスロネ30と言った1等C寝台(非冷房車)も淘汰されており、引き続き急行用2等車の冷房化が計画されることとなりました。
      しかし、ここで気動車の冷房用電源をどのように確保するべきかという問題が生じたのです。
      特急気動車の場合は、キハ80系では、DMH17H-G形エンジンで発電して125KVAの集中電源装置で給電していますし、181系気動車ではDMF15H-G機関により150KVAの集中電源装置で編成全体の電力を賄うようになっています。
      しかし、急行用気動車の場合、先行して1等車が【グリーン車】独自で冷房用エンジン(4DQ形ディーゼルエンジンを動力源とする25KVAに発電機)を搭載して自車を賄うようになっていました。
    23. 気動車発達史 23 10系気動車置換えの汎用気動車 キハ66・67
      キハ10系気動車の置換え用として
      国鉄用気動車は、昭和40年代前半まで新製が続きましたがその後は電化の進展などによる配点で賄われてきたこともあり、本格的な近郊形として開発されたキハ45も100両程で製造は中止されてしまいました。
      無煙化の立役者となった10系気動車も、その後誕生した気動車と比べるとその居住性は劣り、老朽化と相まって大変見劣りしていました。
      そこで、置換えを考慮して新設計された気動車が、キハ66・67でした。
    24. 気動車発達史 24 新系列一般型気動車 キハ40系列
      新国鉄標準気動車キハ40系
      昭和50年3月に登場したキハ66・67形気動車は転換クロスシートを装備した意欲的な気動車であり、計画では新潟地区など10だ気動車が集中的に配備されている地域などの置換えも視野に入れているとのことで、試作的意味合いを込めて30両を集中的に筑豊地区に投入したとされていますが、冷房装置搭載による重量増と、国鉄の財政悪化も重なり、結果的にはキハ66・67は増備されず、他の線区への投入は見送られることとなりました。
    25. 気動車発達史 25 直噴気動車の導入 キハ37
      本日から、国鉄の直噴エンジンを搭載したキハ37のお話をさせていただこうと思います。
      キハ37は、地方ローカル線で使用する気動車として、軽量で安価に製造できる車両という視点から開発され、キハ47と比較して60%の価格で生産されたと書かれています。
      昭和56年度第3次債務で5両の量産先行車が試作され。昭和58年1月に落成、各種試験に供されています。
      千葉局の久留里線に3両、大鉄局の加古川線に2両が配置されましたが、ローカル線事態の廃止が進んだことや、更に軽量化したレールバスや、それに準じた軽量車体の気動車が開発されたため、量産されることは無く、量産試作車の5両のみの製作となりました。
    26. 気動車発達史 26 キハ38形 通勤形気動車
      キハ38誕生の背景
      キハ28が計画された背景には、ローカル線の廃止問題が絡んでいました、昭和58年には、ローカル線の基本仕様と言うべきキハ37が製作されました。 この車両はよく考えられていて、片運転台ですが、運転台後ろに出入り口があり、反対側は少し中心よりにドアが設けられており、将来ワンマン運転にも配慮された車両であり、窓割りもキハ40系列に準じており、クロスシートに置き換えることも容易な構造となっていました。
      キハ37形気動車
      ただ、現在キハ35が活躍している線区、【八高線】のように非電化区間ではあるが相当数の需要がある路線でキハ37を投入するのは難しい。(八王子駅 - 高麗川駅間が電化開業は、1996年3月16日)さらに、キハ35初期車が経年でにより老朽化しており、更新の時期を迎えていたこともあり、キハ35の改造名義で各国鉄工場で製造されることになりました。
    27. 気動車発達史 27 ジョイフルトレインの誕生
      ジョイフルトレイン、覚えていますか?
      ルーツは東京南鉄道管理局が製作した欧風列車「サロンエクスプレス東京」からと言われています。
      大鉄局も一ヶ月遅れで、「サロンカーなにわ」を登場させるなど各管理局では、新しい団体旅行のスタイルとして、客車を改造したこうした車両をお座敷客車に代えて、若年層向けの車両の開発が行われていました。
      並行して老朽化したお座敷客車も12系客車を改造されスロ81系は淘汰されていきました。
      さて、今回はジョイフルトレインでも気動車のお話ですので、そこに絞ってお話をしたいと思います。

    28. 久々に気動車発達史をアップしたいと思います。
      国鉄末期にキハ28・58形を改造したアルファコンチネンタルエクスプレス(キハ59・29)に関するお話です。
      アルファコンチネンタルエクスプレスは車両もさることながら、その販売方法はギャランティ方式と呼ばれるものが導入されました、この辺は技術的な部分とは外れますので詳細は省略しますが、買い上げ運賃のうち、国鉄側に不足が生じた場合はホテルがその不足金を充当するというもので、金額にして約7300万円であり、これは、昭和60年12月21日〜61年4月13日までの期間の114日間、座席定員の80%に相当する額となっており、当然のことながら利用者が多ければ、国鉄にはプラスになるように考えられていました。
    29. 気動車発達史 番外編 客車改造客車
      客車を改造して気動車にした話 50系客車を改造して、気動車に・・・。
      JR西日本では、1988年に50系客車を改造したキハ33形気動車が2両製造されました。
      余剰気味の50系客車を改造して、ローカル気動車に改造しようとしたようですが、以外と改造に費用がかかったからかもしれませんが、試作の2両で終わってしまいました。
      鬼太郎列車に改装されたりして、山陰本線・境線を走っていました。
      聞けば現在は、1両は津山で保存されているとのことですが、実は客車を改造した気動車が、昭和30年代にもありました。
      それが、今回お話しする客車改造気動車キハ08のお話です。
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