国労北長野運転所分会
国鉄資料の一環として国労が分割民営化後配布していた、絵葉書を展示したいと思います。
国鉄改革は、国労の一人負けの様相を呈していました、しかし国労はその後も「復活国鉄キャンペーン」を実施、その時に送られてきた絵葉書の一部です。
これは、国鉄当時、分割民営化反対に署名した人を中心に配布されていたようです。
ただ残念なことに、全てのはがきが届いたわけではありませんでした。
そこで皆様にお願いがあるのですが、ぜひ皆様でこの絵葉書持っていると方おられましたら、情報提供いただけないでしょうか。
皆様のご協力をお待ちしています。
絵葉書下のテキストは、絵葉書裏面の内容です。
多少暴露的な内容かもしれませんが、当時の資料としてみていただければと思います。
また、マーカーは、blackcatが引いたもので、本来の文章には入っていません。
これ以外の絵葉書をお持ちの方おられましたら是非、データーをお譲りください。
よみがえれ国鉄
国鉄の税金
●国鉄を「国の金を失う」と言った者がいます。しかし、国鉄は「公社有資産所在市町村納付金」という実質的固定資産税を支払ってきました。昭和30年「地方財政救済のため」として当時は黒字の国鉄が、負坦することか決められ、赤字になっても増加し、最近では年間400億円も支払っていました。
本来は国が負担すべきでしょうが、政府は国鉄に負担させ(公共事業をしているのに)、その反面、道路、港湾、空港等に投資を続けたので、国鉄は他交通機関と競争できる状態ではなかったのです。
民営化によって課税の対象か広がるため、昨年は各地で新品資材が廃棄されました。また、車両にも課税されるとして、混雑緩和の要望むなしく、1両でも多く廃車にしようと、運用から外されてしまいました。
写真は塩尻に放置されている解体待ちの緩急車や、クハ165、サロ165等。松本運転所の165系電車の編成は、クハ+クハ+モハ+クモハか全てクハ十モハ+クモハになりました。 国民もバカにした人活センター
「人材活用センタ」それは名称が実態と大きく異って、いかに信用できないかを示しました。国鉄分割民営化の際に職員の未消化年休が買い上げられたのてですが、全国て巨額になり、「余剰人員がいたなら、年休は完全了消化できたはずた。と国民の批判を浴ぴました。
所要員の人が年休を申し込むと「人手不足」として認めず、人活センターの人が申し込むと「業務上困難」として拒否しながら草むしりや竹細工などを命じたので年休は消化できなかったのてす。
また、退職を決意した人の年休消化も認めず最後まで勤務させ、人活センターの人を1日でも長く隔離しようとしたのです。
結局、車むしりや文鎮作りなどの日当を国民が買い土げで負坦したことになるのです。このような無責任な労務政策は分割民営後も続き新たな人活センターが生まれています。
写真は中央鉄道学園教習車 クモヤ92000 昭和56年 新たな人活センター
新会社発足と同時に、全国各地で関連事業を隠れ蓑にした新たな人活センターが生まれました。長野支社では営業課駐在という名称で、長野第1駐在、長野第2駐在、松本駐在、塩尻駐在など、以前の人活手センターと同様の配置です。
不採算の売店を次々に開設する他、長野では特急「あさま」の長野〜上野、松本では「あずさ」の松本〜千葉の車内販売をさせ、本人が苦しいだけでなく、同じ人間が同じ品物を全区間売り続けるので.乗客の旅情の変化もプチ壊しています。商売ではなく職員を苦しめこれでも辞めないか」と人材つぶしをしているのです。
所要員には目標という名のノルマで休日にオレンジカード等を売らせる反面、駐在では無人駅の清掃等が、仕事だったり、KlOSKが不採算で撤退したところに売店を設けるなど、ムダな支出や会社内のアンバランスと矛盾が拡大しています。
写真は中央線辰野駅の流電クモハ52003 昭和51年 CTC(列車集中制御
「分割民営化後も安全は確保される」という説明の一つに、CTC化の拡大が、挙げられていますが、CTCは能率化のためのもので。制御所から100qも離れた無人駅の列車の状態を表示したり信号やポイントを操作できるのは軌道回路によるのですが、これは二本のレールに電圧をかけておき、列車が存在すると車輪を通して電流が、流れて検知するものです。それによって列車の衝突や指令員の誤操作を防止するように構成されています。
しかし、昨年奥羽線のCTC区間の駅ではレールの錆によって列車を検知せず、他の列車が衝突寸前になりました。従来は駅員が目で再確認していたのですが、CTCは無人化や駅員削減の口実に便われ、安全に大きな問題が生まれています。また、有人駅ではポイント内の小石や雪塊が簡単に除去できますが、無人駅ではできず有人駅から出動するため、ダイヤ回復に時間かかかっています。
駅員が少し残った駅でも窓口が精一杯になり、車掌の判断で発車するように規程が変更され、心の通った営業も困難になっています。
写真はCTC表示盤 乗車券自動販売機(券売機)
分割民営化で三分割された長野県には、いろいろな問題が生まれました。中でも券売機は特に使いにくくなりました。長野駅では、
同じ金額でも行先によって、@東日本社内A東海全社B西日本会社の3種類のボタンを分けています。
松本駅では、同じ金額でも@東日本会社A東海会社(中央両線)B東海会社(飯田線)に分かれています。西日本会社行の設備がないので以前は券売機を使っていた中正駅(大系線)などは窓口になりました。
上諏訪駅では、金額ボタンは1種類でも、その前に@東日本A東海(中央西線)B東海(飯田線)C東海(身延線)の行先ボタンを
押さなければならないものもあります。入場券でホームの風呂を利用できることで有名ですが、入場券のボタンを押してもダメです。
(その前に@を押す)
このように、「お客様は不便になりません」という宣伝はウソだったたのですが、駅によって券売機の様式が異なったり、同じ駅に何種類もあったりで、急いでいるときには理解するのに苦労します。
写真は飯山線蓮駅を発車した気動車(昭和59年) 繋忙期
民間会社なら忙しい時期は上司も部下もなく協力してお客様を待たせないように努めるのですが、JRと称する御役所は違います。
「合理化」で駅員が減らされて、開かない窓口や改札口がふえていますが、、繁忙期ぐらいは上司も応援して開いて欲しいものです。今年の繁忙期も管理部門の人間は現場に出たのですが、協力せずに脇や陰から駅員の仕事をずっと監視していたのです。
また、電車の運転室に3人も添乗したので、分割民営化に協力した動労の運転士も「俺達が信用できなくても、狭くて運転しにくくなるから1人程度にして、他はホームで案内した方がお客様のためになるはずだ。」と怒ってしまいました。
国鉄時代にそんなことかあれば労働組合から苦情が出たのですが、分割民営化で御用組合が多くなり、官僚体制か強くなりました。それは、巨額の宣伝費を投じたり、反対派の処分・左遷や人活センター隔離など、政府や官僚が金力や権力で築いた会社ですから当然のことですが…。
写真は中央東線新府付近を走る特急「あずさ」{昭和60年) お客様第一?
民営化で「お客様第一」を強調していますが、そのために「安全第一はどこかへ行ってしまいました。これは言葉だけの問題ではありません。
従来はポイントを切替える度に機械的又は電気的に鎖錠(固定)しなければ列車を通すことができず、故障等で鎖錠できない場合は専用の金具で手作業によって鎖錠していました。それは、何十トンもの車両が通過する際にポイントが動揺すると脱線する危険が大きいからです。
しかしJRは「故障でも、無人駅は鎖錠しなくてもよい。」という規程を設け乗務員がポイントの向きを確認して低速で通過するようにしました。そして、「国鉄時代のように鎖錠を義務つけると、有人駅から出動して時間がかかり、お客様に迷惑がかかるから…」などと説明していますが、「有人駅は鎖錠しなければ危険だが、無人駅は鎖錠しなくても安全」とでも言うのでしょうか。安全上重大な問題を「お客様第一」にスリかえているのです。
民営化に向けて無理に無人化を進めた結果、無人駅の度々の故障で列車タイヤが大きく乱れて、サービス以前の問題なのですが根本を解決することなく安全を無視して制度を曲げているのがJRです。
写真は長野運転所洗浄線(昭和58年) フェールアウト
国鉄は分割民営化によって、フェールセーフからフェールアウト
へと、一大転換をしました。例えば上り坂の駅や信号場に停車中の貨物列車の機関士が急病になって列車が後退した場合、従来なら同乗の機関助士、緩急車の車掌、駅員のいずれかが、停止させる手配をして大事故を防止したのですか.現在は助手も車掌も廃止されて。
無人駅も多いので、そのまま後続列車に衝突する危険が増大しています。
分割民営化は、抽象的な精神主義の色彩が強く.合理化のために一人の人間の注意力に頼るという原始的手法によって、何重にも設けられていた安全策を撤去しました。また、夜行列車のない私鉄並効率のため、夜間も昼間並の仕事に近づくとともに.食事時期や睡眠時期を無視した行路が作られた上、30秒遅れの責任追及で乗務員に疲労が蓄積しています。
さらに、以前は「運転中に少しでも異常を感じたら列車を止めて点検や確認をせよ。となっていたのに、最近は止めても原因不明の場合は「判断が悪いと処分されたり、疑いの目で取り調べを受げるので、異常を感じても停車を躊躇するという、フェールアウトの状態です。
写真は新前橋を発車した貨物列車EF12+EF15(昭和56年) 検査のあり方
「よみがえれ国鉄2」の中央西線の石油列車発煙に続き、今度は中央東線で同様な問題が発生しました。
10月半ば、未明の中央東線でガソリン輸送列車が貨車の車軸から火花を散らしながら走っていたのですが、前頭に一人だけの乗務員は気がつくはずがなく、連絡を受けた友人駅が停止信号を出してやっと止まっりました。発見したのは、たまたま線路工事をしていた作業員だということで、もうJR自身では危険を発見できない状態になっていて、もう少しで大事故になってしまうところでした。
運転関係の制度とともに車体の管理体制が問題ですが、写真右のように検査の有効期限を簡単に手で書き換えるのがJRの安全に対する姿勢です。事故防止のための検査をすれば、赤字の直営売店や出向に出す人などはいないはずです。
JR用語辞典
関連事業
飲食店、書店、栽培、養殖など、鉄道と関連のない事業でベテランを鉄道から離すためによく使われる。
小集団活動
昇給やボーナス査定を示唆して、夜勤明けや休日に活動させることをJRで、は小集団活動と呼ぶ。疲労のために活動中に突然死亡した人もいるのでQC(急死)活動とも呼ばれている。
テベント列車
日常生活に関係の少ない列車で、非番や体日のJR社員が自費で集客したり、自費で乗客兼添乗員になることも多いので手弁当列車(テベント列車)と呼ばれているが、格調高くイベント列車と呼ぶ人もいる。
豪雪体験列車
JR社員が「毎年寒さや豪雪に悩まされている地方では、金を支払ってまでも体験したいと思うのはJR関係者くらいしかいない。」という明白なことを体験する列車。
JR
特定の人間に毎日自習など、鉄道から隔離するための組織で、Jail(監獄)の変化したものだとも言われている。
写真は姨捨付近を行く495系電車昭和58年 運転士
先日、諏訪市内の中央道で過労運転のトラックが乗用車に追突し、乗っていた家族が死傷したのですが、このような事故は時々発生して、スキーバス事故のような過労運転を生むバス・トラック会社の姿勢は改められていません。一人の長距離・長時間運転によって安価高速輸送を実現しているのですが、真の利益のための安全輸送を指導することが運輸行政の役割ではないでしょうか。
分割民営化は「競争原理によって国民の利益が向上する」という神話が基本になっていますが、国鉄にも過労運転の競争を導きました。国鉄は民営化に向けて乗務の規程を緩め、例えば1日6時間連続運転まで可能にしたのですが、バスやトラックのように途中で止めて便所に行くことが許されません。
或る幹部は」長時間便所に行かなくてもすむ薬品が既に開発されているが、副作用があるので今は使用できない。」と言っています。しかし、便所に行って列車を30秒遅らせただけで処分され、2回目には降職されかねない現状では、JRが指示しなくても運転士が自分の身分を守るために支給を求めるようになるかもしれません。御用組合が多い現状ではJRの思うままで、分割民営化は人間不在と言われる由縁です。
CTCと餘部事故
以前私達の職場にいたAさんは長野にある篠ノ井・中央西線CTCに転勤しました。篠ノ井線の危険箇所の警報がCTC指令室にあったのですが度々の誤動作でダイヤが大きく乱れました。
CTCというのは1人で多くの駅の信号機等を手動で操作する方式で、お手玉の如く操作しながら電話を受けることもあり、緊張の連続です。24時間勤務の中に4時間の仮眠がありますが、何人もが同じ部屋の二段ベッドですから休めず、シーツも1〜2週間は替えません。勤務時間が終わると臨時列車計画や工事計画の仕事があり、これも気が抜けない作業です。
分割民営化は敗戦国の裁判のように厳しい責任追及を招き、30秒や1分の遅れの処分がくり返されました。警報で止めた持急「しなの」が1時間遅れのまま中央西線に入ったのですが、9駅を担当していたAさんは行違いや時刻変更、そして現場からの問い合わせに追われていて貨物列車の信号操作が遅れ、「60分遅れの貨物を61分遅れにした。」と後日厳しく追及されました。
これがそのまま餘部事故に当てはまるとは言えませんが、当日はダイヤの乱れに追われていたのです。それまで大事故がなかったのは現場に精通した駅員や保線区員の努力だったと言うべきですが、CTC化は無人駅を多くして、現地の把握も困難にしたのです。
写真は餘部鉄橋を渡る旅客列車昭和57年 ある会社員の訴え
民間企業の会社員から次のような手紙が届きました。
「私の会社でもついに『人活センター』ができてしまいました。名称は能力開発部』というのですが同じことでしょう。高度成長時代に家庭や生活を犠牲にしてきた人達が配置されています。私の会社は組合がらみの理由はないのですが、口実は何とでもつけられるでしょう。『能力を充分に発揮していない者……。」という暖味な表現がつけられており、どうにでも解釈できます。
国鉄分割民営の時、一般サラリーマンは『今まで怠けていたから当然だ。』などと思わずに、自分達の事として考えなくてはならなかったのです。私と同じ考えの投書が雑誌に掲載されたので、他にもいると思いますが、財界の力が強くてどうにもならないのでしょう。会社の説明では『能力開発部』の仕事は『会社が特に命ずる仕事』となっており、まさに人活センターです。あまりにも似ているので、財界が国鉄で実験して、それを民間会社に広めるために成果を講習でもしているのではないかと思います。」
最近、その人からまた手紙が来ました。「最近の提出書類に『今後は社員の意識改革が必要だから、それについて書くように。』という部分がありました。私の会社でもJR化が進んでいます……。」
写真は篠ノ井駅構内に留置されているEF62などの機関車 貨物列車
昭和62年秋、東北線で貨物列車の脱線事故があったのですが、車軸発熱による事故と見られています。車両の検査が大幅に間引きされて故障し易く、「よみがえれ国鉄2.17.18」のような危険な状態である上に、貨物列車の車掌と言うべき列車掛が廃止されたので、前頭に一人だけの乗務員(機関士のみ)には異常がわかりません。
この事故の対策としてJRでは「貨物列車の乗務員は途中の停車駅で、はできるだけ後方を見に行くようにという、実に頼りない指示を出していますが、検査や列車掛を見直すなど根本的な解決はJRのメンツが許しません。
こんな綱渡りのような列車を走らせている反面、検査係や列車掛が余剰扱いで、出向や売店・清帰などに回されている状況は極めて異常です。JRはそれについて「余剰人員ではなく、余裕人員だ。」と官僚的な事を言っています。
貨物会社も好調と言われていますが、その実態はこのように毎日危険を載せて走り続けているのです。
写真は東北線船岡付近を定るED71重連賃物1571列車昭和57年 官僚化の制服上位下達のJR東日本は観賞用の制服を作りました。
その他、現在ハガキが見当たらないのですが、記述された内容のみの分をアップしておきます。 皆様のお力を是非ともお貸しください。 制服
制帽は浅くて、「かぶる」というより「頭に載っている」だけで作業しているとずれ落ちたりしてしまいます。営業型上着は胸ポケットが小さくなったので案内用の時刻表が入りません。
運転士型ズボンは右前のポケットが小さくて、懐中時計がはみ出してしまいます。運転士型上着の胸ポケットに装飾の金属ボタンが付けられたのですが、「高電圧の機関車の中でスイッチを整備する時に危険だ。」と言う声もあり、「社員削減用の制服ではないか。」と言う人もいます。
技術系の制服は体外用兼作業用で他の作業服を認めず、油まみれの作業もオレンジカードの販売も同じ「制服」を着るように命じています。仕事をしない人が考え、着用しない人が選び、試用期間も修正もなく大量発注したのは、JR官僚らしいやりかたです。
制服の切替えについては「4月1日0時」と決められ、2日にまたがる勤務者は途中で着替えることを命じられました。駅員は問題なかったのですが、乗務員は旧服を着た上で新服を持って帰着したのです。帽子も変わるため荷物が大きくなり、カバンとともにそれより大きな荷物を持ち運ばなければなりませんでした。
各職場の当直は「全員に確認したか。」「特に帽子を忘れないように。」乗務員は「運転席に置き忘れないように。」などということに神経を使ったようです。
このように、中身よりも外見や形式を優先するJRですから、同じ頃発生した欧風化気動車「アルカディア」の火災について、私たちには単なる偶発的な事故とは思えないのです。
東日本会社は新しい制服を決定して公表したのですが、現場の殆どの人間が知らないうちに幹部中心で決められていたのです。特に制服は多額の金を使って種類をぶやしたことが持徴です。
接客帽は国鉄時代は大別して3種類で、、駅長用、駅助役用の他は駅員も連転士も車掌も同じだったのですが、東日本は駅長用、駅肋役用の他、区所長用、区所助役用、非現業用、主任用、一般用の7種類を作り、身分を細かく区別しています。
技術系の作業帽も、国鉄は1種類だったのが、:東日本は区所長用、区所助役用、主任用、一般用と4倍にふやして白線の本数で区別しています。鉄道マニアの興味の対象になりそうですが、協力的組合の中からも「これではまるで一等兵、二等兵……などという軍隊と同じだ。こんな官僚的な組織にするために今まで努力してきたのではない。」という批判の声が出ています。
会社側の説明では「指揮命令系統をはっきりさせるため。」となっていますが実際に仕事をしている者にはわかっていることですから、幹部職が自分たちの地位を利用者に見せぴらかすために作ったので、す。つまり、国鉄時代よりも自分達の権力を誇示するために分割民営化を推進したのでしょう。
今後は身分の区別のために試験が多くなるようですが、民営化に向けて最初から結果の決まった試験が実施されたことは言うまで、もありません。
写真は名古屋〜小潟沢を走った急行「たてしな」昭和61年長坂(回送) 明るい職場
分割民営化に積極的に協力してきた組合の全国版の機関紙に、だいたい次のような内容の投書が掲載されました。
「JRになってから、あまりに性急でめちゃくちゃな経費削減や女増収で私たちの新会社への意気込みを失望させている。現場では管理職の成績のために私たちは過大なノルマを課せられ(休日に)オレンジカードを売らなければならず、疲れきっている。各職場の食堂が次々に廃止され、(乗務員は行き先でまともな食事ができない)、経費節減として詰所の伝統が次々に消され乗務員は目を悪くしてしまう・・・。」
掲載を見て組合員は組合幹部がJRに改善を求めることを期待したのですが、組合幹部は改善せず、逆に新労使共同宣言で組合員全員の出向等の約束をして自己保身に走ったので不安が広がっています。
JR幹部は「何よりも職場が明るくなったことが良い。」と発言し、御用組合幹部もこれを肯定していますが、社員の新たな自殺だけでなく、管理職退職しているのが実情です。
また、分割民営化に向けて飛ばされた運転士が、慣れない線区に非常に神経を使った上に通勤に苦労して、仕事中に血を吐いて倒れるという、乗客の安全を脅かす事態になっています。これは、労使が互いに譲歩し協力する会社ではなく命令だけのJRの体質強化によるものです。