昭和22年10月14日に、直宮家を除く傍系皇族は皇籍を離脱した。

伏見宮家


伏見宮家は当主以下4名が皇籍離脱
伏見宮博明王(伏見博明 伏見宮家第26代当主。)
伏見宮家の博義王の第1男子。離脱時は15歳で、後にモービル石油勤務。
博義王妃朝子(伏見朝子)
一条実輝公爵女子。当主の母。
光子女王(伏見光子)
伏見宮家の博義王の第1女子。
章子女王(伏見章子)
伏見宮家の博義王の第2女子。

山階宮家


山階宮家は当主1名のみ皇籍離脱
山階宮武彦王(山階武彦)3代当主
山階宮武彦王
昭和60年に薨去し、山階家は断絶する(山階旧侯爵家を除く)。

賀陽宮家


賀陽宮家からは当主以下8名が皇籍離脱
賀陽宮恒憲王
賀陽宮恒憲王(賀陽恒憲)第2代当主
恒憲王妃敏子(賀陽敏子)
邦寿王(賀陽邦寿)賀陽宮恒憲王第1男子
賀陽宮家嗣子。終戦時は陸軍大尉で、戦後は賀陽政治経済研究所長となる。
治憲王(賀陽治憲)賀陽宮恒憲王第2男子
海軍兵学校(第75期)及び東京大学法学部卒業。外交官となる。
章憲王(賀陽章憲)賀陽宮恒憲王第3男子
文憲王(賀陽文憲)賀陽宮恒憲王第4男子
宗憲王(賀陽宗憲)賀陽宮恒憲王第5男子
味の素に勤務。
健憲王(賀陽健憲)賀陽宮恒憲王第6男子

久邇宮家

久邇宮家からは当主以下10名が皇籍離脱。
宮家中最多の離脱人数である。皇后(香淳皇后)の実家であったが、皇籍離脱の例外とはならなかった。
久邇宮朝融王
久邇宮朝融王(久邇朝融)久邇宮家第3代当主
邦昭王 (久邇邦昭)久邇宮朝融王第1皇子
海軍兵学校在学中(第77期)に終戦を迎える。離脱後に生まれた長女に久邇晃子がいる。
朝建王(久邇朝建)久邇宮朝融王第2皇子
朝宏王(久邇朝宏)久邇宮朝融王第3皇子
邦彦王妃俔子(久邇俔子)久邇宮邦彦王妃
多嘉王妃静子(久邇静子)
朝子女王(久邇朝子)久邇宮朝融王第2女子
通子女王(久邇通子)久邇宮朝融王第3女子
英子女王(久邇英子)久邇宮朝融王第4女子
典子女王(久邇典子)久邇宮朝融王第5女子

梨本宮家


梨本宮家からは当主とその妃の2名が皇籍離脱
梨本宮守正王
梨本宮守正王(梨本守正) 第2代当主
離脱3年後に薨去
守正王妃伊都子(梨本伊都子)守正王妃
鍋島直大侯爵女子

朝香宮家

朝香宮家からは当主以下の3王、1王妃、2女王が皇籍離脱
朝香宮鳩彦王
朝香宮鳩彦王(朝香鳩彦)初代当主
久邇宮朝彦親王第8皇子
孚彦王(朝香孚彦)鳩彦王第1皇子
終戦時は陸軍中佐
誠彦王(朝香誠彦)孚彦王第1皇子
。 孚彦王妃千賀子(朝香千賀子)孚彦王妃
富久子女王(朝香富久子)孚彦王第1女子
美乃子女王(朝香美乃子)孚彦王第2女子

東久邇宮家


東久邇宮家からは当主以下7名が皇籍離脱
東久邇宮稔彦王
聡子内親王は明治天皇の、成子内親王は昭和天皇の1世の皇女であったが、皇籍離脱の対象となった。
聡子内親王(東久邇聡子)東久邇宮稔彦王妃。明治天皇第9皇女。
成子内親王(東久邇成子)盛厚王妃。昭和天皇第1皇女
東久邇宮稔彦王(東久邇稔彦)初代当主
久邇宮朝彦親王第9皇子。東久邇宮家当主。元内閣総理大臣
盛厚王(東久邇盛厚)東久邇宮家嗣子
俊彦王(多羅間俊彦)稔彦王第4男子
在サンパウロ総領事の多羅間鉄輔未亡人キヌの養子となった
信彦王(東久邇信彦)盛厚王第1男子
文子女王(東久邇文子)盛厚王第1女子

北白川宮家


北白川宮家からは当主以下4名が皇籍離脱
成久王妃房子内親王(北白川房子)3代当主の成久王妃。明治天皇第7皇女
北白川宮道久王(北白川道久)北白川宮家第5代当主
10歳で皇籍離脱し、東芝に勤務する。後に神宮大宮司を務める。
永久王妃祥子(北白川祥子)4代当主の永久王妃
肇子女王(北白川肇子)故永久王第1女子

竹田宮家


竹田宮家からは当主以下6名が皇籍離脱
竹田宮恒徳王
竹田宮恒徳王(竹田恒徳)竹田宮家第2代当主
傍系の孫に竹田恒泰
恒徳王妃光子(竹田光子)恒徳王妃。三条公輝公爵次女
恒正王(竹田恒正)
恒治王(竹田恒治)
素子女王(竹田素子)
紀子女王(竹田紀子)

閑院宮家


閑院宮家からは当主とその妃の2名が皇籍離脱。閑院家は昭和63年に断絶
閑院宮春仁王
閑院宮春仁王(閑院純仁)閑院宮家第6代当主
閑院宮載仁親王第2皇子
春仁王妃直子(閑院直子)一条実輝公爵女

東伏見宮家


東伏見宮家からは親王妃1名が皇籍離脱
依仁親王妃周子(東伏見周子)東伏見宮依仁親王妃
昭和30年に薨去

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