参議院 交通安全対策特別委員会 昭和54年05月09日

昭和54年5月9日(水曜日) 午前11時6分開会
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   委員の異動
 5月8日
辞任
補欠選任
山串 郁子君
内藤  功君
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  出席者は左のとおり。
委員長         竹田 四郎君
理 事
            竹内  潔君
            林  寛子君
            安恒 良1君
            阿部 憲1君
委 員
            高橋 圭三君
            高平 公友君
            野呂田芳成君
            福岡日出麿君
            降矢 敬雄君
            小山 1平君
            浜本 万三君
            上林繁次郎君
            内藤  功君
            森田 重郎君
国務大臣
   運 輸 大 臣  森山 欽司君
   国 務 大 臣 (総理府総務長官)  三原 朝雄君
政府委員
   内閣総理大臣官房交通安全対策室長   三島  孟君
   警察庁刑事局長            小林  朴君
   警察庁交通局長            杉原  正君
   運輸省鉄道監督局長          山上 孝史君
   運輸省自動車局長           梶原  清君
   労働省労働基準局長          岩崎 隆造君
   労働省労働基準局安全衛生部長     野原 石松君
事務局側
   常任委員会専門員           村上  登君
   通商産業省機械情報産業局車両課長   堀田 俊彦君
   運輸省自動車局  業務部長      角田 達郎君
   労働省労働基準  局監督課長     小粥 義朗君
   会計検査院第五局長          小野光次郎君
   日本国有鉄道理事           馬渡 1眞君
   日本国有鉄道理事           藤田 義人君
 参考人
   日本鉄道建設公団総裁         川島 廣守君
   日本鉄道建設公団理事         藤田 雅弘君
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  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○交通安全対策樹立に関する調査
 (上越新幹線大清水トンネルの火災事故に関する件)
 (改正道路交通法の実施状況に関する件)
 (バスの左折事故対策に関する件)
 (自転車の整備等事故防止対策に関する件)
 (春の交通安全運動実施に関する件)
 (日本国有鉄道の車両の安全対策に関する件)
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から、抜粋(役職名等は当時の記録による)
○内藤功君 この40両すべてが耐用年数に満たないで廃棄処分になったわけですが、このDD54について40両のうち1番長く使ったのは何年何カ月か。それからついでに聞きますが、1番短いのは何年何カ月で廃車になったか、廃棄にされたか。平均で何年何カ月か、これを養えてください。

○説明員(藤田義人君) 一番長いものは10年1カ月でございます。一番短いものは4年10カ月、特にこれは心臓部のコンバーター――逆転器の破損がありました。そのような修復不可能な故障が発生して廃棄しました。平均としましては7年4カ月という状態でございます。

○内藤功君 非常に短いですね、18年の耐用年数に比べて。長くて10年ですね。

 どうですか、国鉄で導入した車両のすべてが、しかも4十両というような車両のすべてが耐用年数に満たないで、みんな耐用年数に満たないで廃棄されてしまったという実例はほかにないでしょう。

○説明員(藤田義人君) いまの御質問でございますが、先ほど言いましたように、外国の技術提携を受けたエンジンであるだけに、いろいろと修復に対して努力いたしましたが、やはり使用条件が違うといいますか……

○内藤功君 いや、そういう例があるかないかです。

○説明員(藤田義人君) また、そういう中で非常に問題がありまして、ほかの車両の故障発生の傾向から見まして非常に特異な状況でありまして、いまおっしゃるように、われわれとしても非常に残念でございますが、短い期間でやったと、ほかにはこういうケースはございませんでした。

○内藤功君 私は3月の下旬に、調べるために福知山機関区に行ってきたんです。そうしましたら、1両だけDD54が福知山機関区の放射11番線上に、これは廃車決定は内部的にされているそうでありますが、存在しておりました。これは昭和46年製作のものですから33号機、まだ8年しかたっていない。
 ちょっと大臣、これですね、これがいま問題のDD54なんです。ちょっとごらんに入れておきます。雨の日に行って撮影をしてきたんですが、まだ新しいという感じが、これは写真の感じでいいですが、しませんか。

○国務大臣(森山欽司君) 大変いい男前に写っておられます。

○委員長(竹田四郎君) ちょっと、立って答弁してください。

○内藤功君 いや、非常に新しい車体だというふうに感じませんか。

○国務大臣(森山欽司君) そうですね、非常に古いものだという感じはしません、写真だけじゃちょっとわかりませんけれども。

○内藤功君 このDD54の車両の故障件数がまた問題であります。昭和41年に導入しましたが、41年、2年、3年と、この初期の3年間で、走行キロ百万キロ当たりの事故件数、これはどうなっておりますか。

○説明員(藤田義人君) いまの、当初41年入れましてからの3年間の百万キロ当たり故障件数、それは本線で特に故障を起こしたというA故障件数でございますが、23.9、24.、24.2という傾向値でございます。

○内藤功君 その後1たん減ったんですが、また47年、8年、9年、5年、51年と、こうふえてきているんです。これも後で質問し出す。そうしてしかも、49年、5年、51年あたりでは平均の約十倍、百万キロ当たりの事故件数が十倍という多発を示しておるんですね。
 そこで、次に私はお聞きしたいのは、DD54はすでに昭和4十3年までに8両導入して、その8両は、いまお答えのような、非常に高い、百万キロ当たりの件数24・7、24・2というふうな数字を示している。こういう時点で、国鉄としては欠陥の多過ぎる車であるということが当然おわかりになったはずなんですね、8両の時点で。しかも4十3年6月には、山陰本線の湖山駅で機関単の推進軸が折れて脱線転覆事故を起こしている。この事故は御存じですね。

○説明員(藤田義人君) はい。

○内藤功君 そうして、その欠陥があって、それも克服されないままに4十4年以降、4十6年までにあと3十2両が導入をされたと、そうして4十両になった、こういう経過であります。その結果、全部耐用年数に満たないままで昨年までに廃棄処分ということになったわけです。これは欠陥が多過ぎるということを気づきながら、残りの32両を次々と導入していったと、ここのところに私は大きな原因がある。8両を入れて、8両が湖山駅の脱線転覆事故を含めて大きな事故を起こして、しかも百万キロ当たりの件数が非常に多くなってきている。この時点で私は国鉄として何らかのやはり対応措置をすべきなのに、漫然とここに入れていったと、ここに問題があると思うんですが、ずばりここらあたりのお考えをまず聞いておきたいです。

○説明員(藤田義人君) 先ほどDD54を入れましてからの3年間の百万キロ故障を申し上げましたが、この数字以上に、その前、38年にDD51は百万キロ当たり532件という数字が出ております。そのように車両、また設備等、初期故障というものがございまして、いわゆるそれからの使用条件に合った育て方をしていかなければならない。育て方といいますのは、いろいろといわゆる部品の強度のかかりぐあい等、そういう改造を進めるということが必要でございます。しかし、先ほど申しましたように、これはマイバッハのパテントを持った部分の、いわゆる主要なエンジン、コンバーター等に大きな問題が出てきたということで、これについても何とか日本の国土に合ったような、使用条件に合ったような改造をしようとする努力、また新しい車両でございますし、そういうことに対する運転の、先ほど言いました福知山機関区なり、また鷹取工場等でいろいろと技術の勉強をして努力しました。そういう結果、その後件数は若干減ってまいってきております。
 先ほど先生が御指摘の、次に廃帝に至る経緯でございますが、1時そういうふうにいろいろな努力の結果、件数は減ってまいってまいりましたが、1番大きな、先ほど来申しておりますエンジン、コンバーター等がいわゆるマイバッハのパテント等の問題がございまして、意のごとくいろいろと改善、改良ができません。そのために貨物列車、月に180本ないし190本の運休を出すに至る、このような非常に苦しい状況になりました。ほかの車両の開発傾向と違う、いま言いましたような非常な難点がございまして、百万キロ当たりの故障件数がその後またふえてきた、こういうような状況でございます。
 なお、御質問にございました43年6月の事故でございますが、これはいま言いましたエンジン、コンバーターの問題ではございませんで、いわゆる推進軸、プロペラシャフトの十字継ぎ手におきます故障がその事故に発展したということで、その前に気動車の技術もございますし、こういう面についてはいろいろと改良に対する努力を進めておりますが、エンジン、コンバーターというものについてはまた別の問題、非常にいわゆるディーゼル機関車の生命を決するところで非常に問題があったというのが技術的な状況でございます。

○内藤功君 私の方はいろいろ国鉄の技術関係の方の書かれたものなども調べてみました。おわかりと思いますが、たとえば上西尾源太郎という人がおります。これは本社運転局車務課にいた技術関係の方ですな。この人が1977年5月のある雑誌――「鉄道ファン」という雑誌です。これにこう書いているんですね。「往々にして発生した機関故障や車両故障が初期故障時から、なかなか収斂しきれなかった。」と、こういうことを言っております。
 それから永瀬和彦さん、これは車両設計事務所の主任技師をやっておられる方だと思います。永瀬さんは「国鉄ディーゼル機関車の歩み」という文献の中で「実用実績はあまり芳しいものでなく、機関や変速機のトラブルが相次ぎ、長期にわたりいろいろと対策を講じたが、事態は好転せず車両の半数以上が故障休車する事態が発生」をしたと。そして原因については、同氏は、「直接国鉄などの車両にたずさわる技術者が関与し苦労を重ねて開発した国産品でないため、欠陥故障部品の積極的な改良手段を講じようとしても、すべて当初の設計意図やノウハウを本国」――これはドイツですな、西ドイツです。「本国へ照会し、その指示を受けねばならず、これらに多くの手数を要し、必ずしも使用サイドの必要とする抜本的かつ適切な措置が講じられなかった」、以下続きますがね、こういうふうに述べておるんですね。  まず質問は、これらの文献について当然御存じだと思いますが、またこれらの筆者についても御存じだと思いますが、これについて国鉄部内の技術者が言っていること、これは間違いないでしょうね。

○説明員(藤田義人君) 前段の西尾源太郎氏の述べておられる問題につきましては、いわゆる先ほどDD54の初期故障、それからいわゆる故障の発生が少なくなった、減衰する状態、これとDD51の初期故障の発生からそれが故障件数が少なくなっていく減衰の状況、これが違うところを述べているというふうに理解します。
 なお、永瀬氏の述べているところは、先ほど来私が申し上げておりますように、いわゆるマイバッハの問題からいろいろとその点の改良改善を進めるのに非常に苦労をしたと。たまたまDD51の方の問題は、冒頭申しましたようにいわゆる主要幹線用の車両として2200馬力でございまして、ツーエンジンの2200馬力、DD54はワンエンジンで1800馬力でございます。そういう亜幹線用を何とか開発したいということでこのDD54に取り組んできた。そういう経緯の中で、いま言われたお二人の方の印象がこのような文華になったというふうに理解します。

○内藤功君 結局、あなたの答弁、それからこのお二人の論述を私は総合して細かい技術論をここでやる余裕はありませんし、またその場でもないと思いますから、大きく見た場合に、これはエンジン、変速機などの車両としては一番大事な中心部分、その欠陥だと、そしてその欠陥が耐用年数18年持ち切れなかったと、そこで廃車にしてしまったと、大変な経済的損失だと思うんですね。これは、国鉄としては売買契約の目的物たる商品あるいは製品について重大な瑕疵があるものだという前提に立って、メーカーである三菱重工に対して、これは公の立場である国鉄としては当然損害賠償請求の検討はなさったと思うし、これをやるいろんな用意はしたと思うんだが、そういうことはしたかどうか。それから実施したかどうか、その損害賠償の要求を。これ大事なところだと思うんです。大きなきずのある商品買わされているんですからね。これはどうですか。

○説明員(馬渡一眞君) 通常の場合で申し上げますと、車両につきましては、投入後の一年間、
  〔委員長退席、理事安恒良一君着席〕

これはもし故障等が出ました場合に瑕疵の補修ということで、現在でも一年間の、各メーカーにつきまして全部同じようにやっておるわけでございます。で、この場合に私どもといたしましては、実は今回この事件と申しますか、この事故に対しましては早く使える状態にするということを最も大事なことだというふうに考えまして、三菱重工業の方に特に故障を起こした部品の取りかえというようなことを、できるだけ早く部品が手に入りますような手段を講じてもらったり、あるいは技術者を現地に派遣をしてもらったりというようなことで、メーカー側と共同して改善をする努力というかっこうで、これの早く完全なものに仕上げる努力をその当時いたしたわけでございます。

○内藤功君 早く完全なものに仕上げる努力は努力として、しかし完全なものにならなかったわけなんです。そうすると、三菱重工は、メーカーの方は、最初からこれは十年でおしまいになっちゃいますよ、これは4年9カ月で中には廃棄になるのがあるかもしれませんよというようなことは言ってないはずだ。これはもうりっぱに国鉄として耐用年数は使えるものとして、その前提に立ってやった以上は完全にこれが直らない以上は、損害賠償の要求を考えるのは、これはユーザーとしては常識だと思うんです。そうすると、してなかったと、いろいろ言われましたけれども。要するに、そういう損害賠償の要求の検討はしたことはない、こういうことですね。

○説明員(馬渡一眞君) 損害賠償の要求をいたしておりません。

○内藤功君 その内部検討もしなかったと、こういうことですか。損害賠償要求をするかどうかの内部検討もしなかったということですか。   〔理事安恒良一君退席、委員長着席〕

○説明員(藤田義人君) いまDD54の瑕疵の問題、またその賠償請求の問題でございますが、このDD54が突如41年生まれたわけではございませんで、その前に36年から39年にかけましてDD91というこの母体になる車を長い間、国鉄としましても、先ほど冒頭言いましたような必要性から、技術開発を進めるべく、いわゆる三菱の方から借用して、借用料ももちろん払っておりますが、そういう形で一緒にこれを開発する経緯がございました。なおかつ、先ほど馬渡理事が言いましたような、そういう瑕疵担保の問題等やり、また積極的なメーカーの方の協力もありまして、いま言ったような請求には至ってないということを御理解願いたいと思います。

○内藤功君 これは全然損害賠償要求をしないという理由にはならないと思います。DD91がどうであろうと、それはDD54の前の車でありまして、DD91はたった一両でしょう、これは。そしてしかも、これは試運転中にも何かシリンダーが割れるという事故を起こした、そういういわくつきのものでしょう。DD91がどうのこうのということは理由にならない。これはやっぱりメーカーの三菱重工に損害賠償を要求しなかったということは、はなはだ私は国鉄の措置としては合点がいかないということを申し上げておきたいと思うんです。そこで私は、まあこれは次第にむだ遣いだったという疑いを濃くするわけなんです。
 国鉄の資料によりますと、DD54を廃車にしたかわりにDD51という、これはさっき大臣の前にお見せした写真の中にDD54と並んで隣の番線に入っているのがDD51でございます。このDD51の新車を16両、この福知山機関区に導入しているんじゃございませんか。

○説明員(藤田義人君) 先ほどお話ししたように、亜幹線山陰線用のディーゼル機関車としてDD54を配置したし、それで旅客列車、貨物列車を牽引して仕事を進めておりましたので、それが使えない場合にはそれにかわるものとして、たまたま幹線用で開発してきたDD51ではございますが、この49年ごろ、安定した車両に育ってきておりましたので、その列車を確保する意味でDD51を投入したという経緯で、いまの先生の御質問のように両数を入れてまいりました。

○内藤功君 DD51の方の損害賠償はやらないと。まあよけいなことを言うようですが、労働者が国鉄の施設の中にビラを張ったとかいうとき、それからストライキやったときにはこれは損害賠償の訴訟を最近非常におやりになっております。これと比較するのはどうかという意見もありましょうけれども、そういう非常に損害賠償訴訟に積極的な国鉄が、こういうメーカーから瑕疵のあるものをつかまされたと――それに対して損害賠償という訴訟はある程度冒険はつきものですよ。しかし、きずものをメーカーからつかまされたユーザーはやっぱりきちんとここのところはやっておかにやならぬと、特に国鉄のいま財政の困難なときに思うんです。
 さて、それは繰り返しになりますが、一方、そうしておいて、今度は新車を、DD51をどんどん入れていく。それは、もう二重に私は大メーカーに、言葉はきついですが、食い物にされているという感じがいたします。
 検査院来ておられますか。――会計検査院にお聞きしますけれども、本件について、このDD54の廃棄問題について検査院として調査をしたことがあるかどうか、調査をしたことがあるとすれば、どういうふうに調査をし、また現状はどうかという点を伺いたい。

○説明員(小野光次郎君) お答えいたします。
 このDD54型ディーゼル機関車の件につきましては、本年の2月に本院で、国鉄の鷹取工場につきまして会計実地検査を行いましたときに調査をいたしました。
 その調査の結果につきましては、DD54型ディーゼル機関車につきまして廃車解体を行っておったわけでございます。この廃車解体につきましては39両行っているわけでございますが、この機関車は、先ほど国鉄からお話がございましたように、全部で40両を41年度から46年度にかけて購入したものでございます。その全部を51年度から53年度までの3カ年で廃車しているわけでございます。このように耐用年数に比べまして短い期間使用しただけで40両とも廃車するというようなことに至ったことは、これは従来にもないきわめて異例な事態ではないかと考えられるわけでございます。
41年度にさかのぼって児直し検査を実施することとし、当時の関係資料を要求しておきました。そして、まず導入の経過、契約の内容、納入の際の受け入れ検査の適否、用途廃止の決定及び解体業務の経理等の諸項目について目下鋭意検討を行っているところでございます。
 ただ、何分にも規定では資料の保存期間が5年でございますので、当時の十分な資料が得られないおそれがございます。そこで、私どもの方といたしましても既往年度の関係資料をでき得る限り徴しまして、遺漏のないように十分調査をする所存でございます。

○内藤功君 いま検査院の答弁の中で、導入の経緯についても鋭意検討をしている、それも含めて検討をしているというお話があったんです。
 そこで私も、これは昭和4十一年当時、どんな理由でこのように短期間にその後廃棄処分せざるを得なくなったこのDD54という車種を、しかもいろいろさっき担当理事は言われましたが、ディーゼル機関車のエンジンをつくった経験のない三菱重工に任せた理由は何かと、この点について疑問に思うところなんです。これを、いろいろいままで言われておりますが、DD54以前に機関車用、ディーゼル用のエンジンの実績がないその三菱重工にやらせた理由、これをもう一度端的にお話し願いたい。

○説明員(藤田義人君) この本線用ディーゼル機関車のDD51、DD54がいま話に出ておりますけれども、それ以前にDD50というディーゼル機関車がございました。これは1000馬力のディーゼル機関車でございますが、スイスのズルツァまたMANのエンジンを搭載しました三菱重工がつくったディーゼル機関車でございます。そういう意味で、そのディーゼル機関車のメーカーとして経験がないということには当たらないと思います。
 ただ問題は、先ほど来申しましたように、1700から1800馬力というような亜幹線用馬力についてのわが国としてのディーゼルエンジンの開発が非常におくれていたという中で、マイバッハと技術提携をしておりました三菱、これがちょうどその亜幹線用になおかつ保守上非常によろしいワンエンジンということで、三菱にDD54を購入するような形になってきたという経緯でございます。

○内藤功君 そうすると、前にDD5〇のとき、ズルツァそれからMAN――ズルツァというのはスイスですね。MANは西ドイツですね。そういう経験があるから大丈夫だろうと思ってやったと、こういうことなんです。私はまず結論から言うと、ドイツとかスイスとか三菱とかいう名前、ある意味において虚名に目がくらんで技術上の検討不十分のまま飛びついたという印象があるんです。  この昭和40年の10月に三菱重工と国鉄の最初の当初契約のとき、国鉄部内の技術関係者の意見はどうだったんです。

○説明員(藤田義人君) その当時の意見を私、直接また聞いておりませんが、先ほどありましたように昭和3十5年から昭和50年までに蒸気機関車を廃止して、エネルギーの有効活用また無煙化対策等、そういうことで電化またディーゼル化を進めていくという非常に大きな命題のもとに、このいろいろな機関車の開発も進めてまいったわけでございます。そういう中で、DD51は1100馬力がツーエンジン、いわゆる両方に二つ抱いているような機関車でございまして、それなりに保守上やはり手がかかる。やはりワンエンジンが欲しいということで、千8百馬力前後の亜幹線用の車両ということで、何とかこれを開発しなければならない。これに対する各メーカーとのいろいろな共同開発等の問題もあったと思いますが、しかしたまたまこの中で、特にDD91形式の車が使用する中から、一番その目的である亜幹線用に使えるということで、旅客のばい煙禍――災い等を早くなくすこと、また動力近代化計画を進めることによって、いわゆる国鉄の経済を、そういう経営ロスを少なくするべくそういう観点に立って、この技術開発に進んでいたわけでございまして、結果的にいろいろと問題が発生しましたが、いわゆるそういうような客観情勢の中で、この亜幹線用車両としてのDD54の開発に取っ組んでおったというのが、この40年ごろの空気だということは十分推察できるところでございます。

○内藤功君 ところが、この導入したのは40年10月、私の持っているのは「交通技術」40年8月号、その当時の雑誌ですが、ここで国鉄の当時の臨時車両設計事務所におった玉置光夫という人、この人は50年に退職されて、大宮工場長をやられて退職されて、現在ある会社の工場長をやっている人ですがね、この人の論文を見ますと、さっきあなたがほめていたズルツァ、MANということについてこう言っているんですね。「さきにズルツァ、MANで非常に苦はいをなめ現在なおかつ致命傷が解決されていない経験をもつわれわれとして本機」――本機というのはDD54ですね。「本機も十分に慎重に扱っていく必要があると思う。」ということを言って、もうズルツァ、MANで非常に苦はいをなめたということを言っているわけです。ですから、さらに技術者として当時この三菱重工はそういう苦杯をなめているからして、簡単にこれでまたDD54のマイバッハというやつを入れるということに賛成する意見があったとは私は思えない。むしろこれは批判的な意見ですよ、技術者として精いっぱいの意見。しかももう一カ所では、玉置氏は、「日本ではドイツやアメリカ或いはソビエトのように4,000〜5,000PS級の機関はまず不用の見透しであって、DD51クラス」――51ですよ。あなたがこれじゃいかぬと言った「51クラスで十分だと思う。」と、こうはっきり言っておるんです。ですから、いまあなたは当時の意見はよくつまびらかでないがという前提の答弁だが、当時のことをよく調べてみる必要がある。こういう技術者の意見があったということですよ。この点はいかがです。

○説明員(藤田義人君) いま先生がおっしゃいましたように、MAN、ズルツァの問題があったことも私も仄聞しておりますが、この両方の機関車はディーゼルエレクトリックでございまして、いわゆるトルクコンバーターによって駆動するディーゼル機関車ではございません。もちろんエンジンについての問題がございますが、先ほど申しましたように、いわゆる千馬力級のエンジンでございまして、われわれが望んだのは亜幹線用の1800馬力、いわゆるそういうわずかな違いとは思いますが、非常にディーゼルエンジンとしては苛酷な条件がございます。千と千8百といいますけれども相当その中身は違います。いわゆるズルツァとMANというものとマイバッハとそのようにいわゆる同一視するということについては、若干問題があると思います。
 なお、この使う中におきまして、41年には鉄道技術研究所も入りまして、41年9月に性能試験をやり、この使用方についてもいろいろ今後の問題を投げかけながらも、十分使えるという方向で、これに対する技術的な結論を受けて、われわれとしてもこの開発に進んできたわけでございます。

○内藤功君 いまの答弁でもこの玉置氏の危惧は消えないと思いますね。同じく「交通技術」の中には、この土岐実光というこれは当時国鉄の臨時車両設計事務所におって、現在は東急車両におられる方のようですが、この方はこう言っておるんです。外国との技術提携イコール優秀ということにはなり得ないと、その理由は、「たとえばエンジンを形成する多数の部品はそのほとんどが部品の専門メーカーによって作られているのだが、これらの部品メーカーは、これまで日本で長年にわたって発達してきた手法に基く技術を持っているが、外国技術提携のものはそれらと生れが違うため製法が異り、技術の基盤がない。」トラブルが起きやすい、材料や熱処理についても「日本の技術に適さぬ場合がある。トラブルが発生したとき、日本のメーカーが自力で対策が立てられないので、海外提携メーカーに問合せると、先方は知らん顔をしているか、通り一ぺんの返答しかよこさない。こちらはこちらで基礎がないから対策がたちにくい。こんなことから」「日本の設計の方が安心だと考えるようになってきた」と、非常にはっきりこれは言っているわけです。国鉄の部内でこういう意見が技術者から出ているのですね。それで、私は調査に行ったときに聞いてみた。そうしたら、この福知山機関区では、国鉄を退職した人を三菱重工が採用して、嘱託で一年間機関区に置いていたそうですな。それから、事故が起きても国鉄の者にはメーカーは秘密を口実に説明しない。それから事故が起きると、その現場の検修体制ではできなくて、それでよく鷹取工場へ持っていってメーカーが全部やるということもあったと。部品がなくて修理ができなくて何日間もウヤですね、運休が続いたこともあるというようなことも私ども聞いてきたんです。これは、もし何かこれについてあなたのお考えがあれば――こういうこともやっぱり早期廃車の大きな原因に私はなっていると思うのですね。

○説明員(藤田義人君) いま先生がいろいろ申されましたように、確かにわれわれとして国内で技術開発をし、それでいわゆる使用条件も十分わかっているわけですから、それなりのいろいろな育て方といいますか、改良改善の仕方がございます。たまたま先ほど来申しておりますように、このエンジンはマイバッハ、またコンバーターもそういうことで非常に問題があります。DD51そのものの生いたちがいわゆるいままでのわが国の非常に低馬力、百6十馬力ぐらいのエンジンから積み上げてきまして、最後期は5百馬力の6シリンダーをVの十2シリンダーにするということで一千馬力にする。そういうようないろいろな積み重ねをやってきましたが、やはり亜幹線用の千8百馬力級というものが、またワンエンジンの方が保守がしやすいというねらいでこの問題に取り組んできた。いわゆる技術というものは、結果から見ればいろいろとそのような事態でわれわれなりのいろいろな反省を持っておりますが、いわゆる技術開発をする過程というものは非常に一寸先はやみの中から何とかその可能性を見出すような、もちろんそれ以前の慎重な姿勢の中から技術開発というものを進めてまいらなければならないと思います。そういう姿勢の中でマイバッハの千8百馬力級を採用してきた。
 なお、部品についても、先生おっしゃられましたように、いわゆるエンジン、コンバーターについての部品についてはパテントがございますから、西ドイツのマイバッハの方とよく協議をして、それに対する改良改善は了解を得なければ新しくかえることができない。そういうために非常に部品を取りかえるための時間というものがかかる。また工場の方は、やはり年間の作業量というものが計画的に積み上げられてありますから、このような臨時に入るためには、工場のそのような作業形態をいろいろ調整しまして入る時期というものを徹底しなければなりません。そうなりますと、その間入場を待つという形になってまいります。そういうようなことが頻度が多く、最後の廃車決定の前後におきましては非常にそのような事態が多発してきた。先ほど故障発生件数の中で申し上げましたような事態に至ったというのが状況でございます。

○内藤功君 私は国鉄の部内にはすぐれた技術者さんがいっぱいいるんですが、こういった技術者の意見を十分に聞かないで、技術上の十分な検討をなさないで非常に急いで昭和4十年時点に導入をしたということはもうはっきりしていると思うのですよ。それから結果としても、この耐用年数半分という、はるかに満たない短期間に廃棄されたということもこれも事実としてはっきりしている。これはやっぱり導入の経過というものを検査院も鋭意調査をしていると言われました。国鉄自体としてもやっぱりこれは調査をしてもらいたい。大きなこれはむだ遣いだと思うのです。三菱重工の内部の製造過程に瑕疵があったという疑いも十分ある。それを今度は三菱重工に請求しないとなると、請求しないで、損害賠償の要求もしないで買った側に今度は責任がくることになりますよ。そこらあたりの問題もここは厳重に考える必要があると私は思うのであります。私はこういう意味でDD54の購入経過について疑問をここで提起をして、国鉄当局、運輸省としてもこれを調査するように要求をしたい。
 特に、ここでもう一つ提起をしておきたいのは、この購入契約、当初の導入契約のときに、これは3両とか4両とか入れるのじゃなくて、もう初めから4十両というような量産ですね。ワンセットで40両という形で契約しておったのじゃないですか。その間の購入の実態はどうなっていますか。

○説明員(藤田義人君) 購入の実態と申しますか、40両でセットになっていたんじゃないかということでございますが、先ほど来お答え申し上げておりますように、亜幹線用ディーゼル機関車、いわゆる山、坂、またトンネルが多いところの旅客の方々が非常に煙の災いを受けておりますので、何とか亜幹線用の車両として、これを機関車として育てたいということでこの計画をしておりましたが、当時の資料を見ましても百6十両程度をこういう亜幹線用の車両というものをやるような考え方も一部にあるようであります。別に、40両でセットという考え方は、われわれの輸送面から見ましても考えられないというふうに思います。

○内藤功君 ところが、私は、これ三菱重工の「三菱重工技報」という一966年第5号の雑誌でありますが、この重工の方では、国鉄と当社間で量産型として製作したものだと、その名称はDD54型液体式ディーゼル機関車だと、こう言っているんですね、量産型だと。私は、ですからこういった点についても購入経過を調べて、こういうむだ遣いというものがいまの国鉄に絶対あってはならぬです。これは約3十億円に上ります、一台6,700、800万ですから、40両ですから。30億というと国鉄の一日の収入の半分だと言われていますね。大きいです、これは。
 さて、DD54を導入した昭和41年当時の国鉄の監査委員長はだれだったんですか。こういうときは監査委員長というものが目をちゃんと光らしてなきゃいかぬでしょう。だれですか、これは。

○政府委員(山上孝史君) 岡野保次郎さんのようであります。

○内藤功君 その人はどういう経歴の人ですか。どこの会社の社長ですか。

○政府委員(山上孝史君) 前に三菱重工業の社長をおやりになった方だそうでございます。

○内藤功君 これじゃDD54が欠陥だとわかってもメスが入れられないのは当然だと思いますよ。この間から監査委員会に労働組合を入れるとかいうような御提案もあって、これについては私きょうは論及しないが、徹底的にこの監査委員会を民主化する必要があります。特に国鉄と大きな額の取引のある、密接な関係のある大企業の社長経験者などは絶対入れないようにしなきゃいかぬと思うんです。これ、大臣どうですか。

○国務大臣(森山欽司君) 国鉄の監査委員長が国鉄と取引ある会社の出身者であることは必ずしも好ましくないと思います。

○内藤功君 こういう点も考えて労働組合、利用者の代表を入れることは当然でありますけれども、さらにこういうことも目を光らせなきゃいかぬと思うんです。時間がそろそろありませんので……。この問題だけじゃないんですね。ちょっと横にそれて恐縮ですが、私は昨年の運輸委員会、予算委員会その他でも数回にわたって新幹線工事にかかわる排水管の購入問題で久保田鉄工ほか二社が資材価格を不当につり上げて大もうけをしている事実を指摘をしましたが、検査院、この結果を簡潔で結構ですから、この私の指摘は正しかったかどうか、この点答えてもらいたい。

○説明員(小野光次郎君) 昨年の4月3日の予算委員会、それから5月9日の運輸委員会におきまして、東北及び上越新幹線高架橋工事におきます排水設備に使用されております硬質塩化ビニール管の価格につきまして非常に高価であるという御指摘を受けたわけでございます。
 で、私ども直ちにこの問題について調査に入りまして、先生から御指摘がございましたことは事実でございました。したがいまして、会計検査院といたしましては、直ちにこれを国鉄に対しまして質問を発したわけでございますが、国鉄御当局も非常にこの問題については誠意を持って当たられまして、直ちに経済的な丸型の管を――これは一般に市販されているものでございますので、市況価格がございますので、非常に経済的な方途を講ずるような対策を立てております。
 そこで、会計検査院といたしましても、昭和52年度決算検査報告におきまして「本院の指摘に基づき当局において改善の処置を講じた事項」ということで掲載いたしまして報告さしていただいたわけでございます。

○内藤功君 最後に、すでに昨日運賃の値上げの答申が出て、これを大臣の方は2十日からいよいよ実行しようという段階に来ているんですね。平均8・8%、大変なこれは値上がりです。私がもう詳しく言うまでもない。一方でこういう国民に対して値上げを要求している。一昨年のあの運賃法改正――運賃の値上げを事実上自由化すると、大臣と総裁の判こでできるということになれば、こういうふうに一年の間に4回も値上げするということは起きるぞと、それは国鉄の再建は政府の出資と国鉄自身の合理化努力とそれから利用者の負担の三つでやるんだと、利用者だけじゃないよとあのとき言いましたけれども、私らはそうじゃないと、必ずこれは安易な利用者負担に来るよと。その結果としては、この安易な利用者負担、そして安全問題なんかは、もう国鉄運賃の審議は国会ではやられないからして、実にルーズになるよと、その危険を私ら指摘した。ほかの委員の方も指摘したんですよ。ですから私どもは、これがもうはっきり危険として出てきていると思うんですね。
 私は、こういうまず車両の30億円に上るむだ遣いというものを、やっぱり検査院だけじゃなくて、国鉄当局がみずから徹底的にきわめてもらいたい。
 きょう安全の問題、時間の関係で入れなかったけれども、安全の問題でも、この車は始動時の振動が非常に激しいんです。つまりがっくんとこうくるわけだ。がっくんとくるということは、始動時の振動が激しい。そのために頭を打ったり、むち打ち症になった人もいると言われておるんです。こういうような機械を入れておいて、そしてしかも耐用年数の半分で廃車にしてしまっておるということは、はなはだ遺憾なんです。私は、きょうここで提起したこの問題をはっきりさせるまでは、運賃の値上げの答申が出ても、大臣としては判こを押さぬと、これは国会でここまで言われたんだから、これはまず徹底的に調べると、あなたの就任するすでに十年余り前のことだけれども、やっぱりこういうむだ遣いはきちんとさせて、今後ともこういうむだ遣い、浪費の起こらない体制をして、国民に納得させていくということをまず先決にするという、そういう政治姿勢をとらなければ、これはもう国民は納得できませんね。だから値上げの判こを押す前にこの問題をはっきりさせると。これをはっきりさせなきゃ、それまでは値上げの判こを押さないと、こういう姿勢を大臣はとってもらいたいと思うんですが、どうです。

○国務大臣(森山欽司君) 先ほど来お話を承っておりまして、大変参考になりました。十分御趣旨のほどを今後の国鉄の運営に生かすように努力をいたします。が、運賃値上げは5月2十日を予定して一定の手続をもって進んでおりますから、それはそれとしてやらしていただきます。

○内藤功君 それじゃだめなんですよ。前向きにやるように前段で言っているけれども、後段の答弁じゃだめなんです。それじゃ、結局われわれが運賃値上げ自由化法のときに、総裁と大臣の判こ一つで――まあ判こ二つで自由になっちゃうよと言ったとおりなんです。もう国会でもって、運賃法の審議で、おかしいからストップだと、ちょっと待ったと言うことはできない。国会がストップできなければ、大臣のところでちょっと待てと、その値上げ待ったと、待ったとこう大みえ切るのはあなたしかないんですよね。それしかないんです。それがあなたは、値上げは値上げでちゃんとやらしてもらいますと、検討は参考にさしてもらいます。――これじゃだめなんです。ここはひとつ、私は再度あなたにお聞きしたい。ほんとに国民生活を考えているのかどうか。国民生活にこの運賃の値上げでいろんな影響を与えますよ。あなたは栃木県でしょう。小山から上野までの定期券運賃どのくらい上がるかわかりますか。――どのくらい上がります。物すごい値上がりでしょう、通学定期。それなのに国民に対しては、これは聞いたことは参考にする、値上げは既定方針でいくと、これじゃいかぬです。重大な問題ですよ、30億円の問題ですから。30億――小さい問題じゃないですよ。国鉄の一日の収入の半分だと言われている。まずこれをはっきりさせると、早急にはっきりさせると。参考にするだけじゃなくて、自分で調査をすると。そして、それでなければ安易な値上げには自分は判こを押さぬと、こう言えないですか。

○国務大臣(森山欽司君) まあ私は私のやり方がありまして、そのやり方はいままでの大臣とはまた多少趣を異にしている点はおわかりだと思いますが、先ほど私が申し上げたことで御了解願いたいと思います。

○内藤功君 まあ、さっき他の委員から御指摘の笹川氏の問題などを、全日空の社長問題などをあるいは言っているのかもしれない。それとこれは違いますよ。ほかの問題でどんないい姿勢とったって、この一番国民生活に響く問題、物価値上げの引き金になるという問題、これで、お話は承りました、それと値上げは別です、こういう政治姿勢はだめですよ。私は納得できない、それは。ほかの点では納得できるものもありますよ、正直言って。この問題じゃだめなんです。どうなんですか。それは、あなたは真剣にこの国民生活に及ぼす運賃値上げの影響というのを考えていないんでしょう。幾らでも値上げというものは、大臣の判こ一つでできる。国鉄の赤字だと、国鉄再建案もできていない、それで値上げだけやっていくと。一番安易な道をいまたどっていると思うんです。あなたは、国鉄の運賃の値上げについては、一番安易な、取れるところから取る、抵抗力のないところから取る、こういう考え方の持ち主ですか。

○国務大臣(森山欽司君) 国鉄の運営につきましても、いままでとは違ったやり方でやっておるわけでございますから、先ほどの方針でやらしていただきます。

○内藤功君 これは非常に国民としては切実な問題なんです。一年間に4回値上がりしているんですね。そうして学生でも、私の知っている学生で山梨県の都留から通学しているのがいますよ。3カ月でいま3万4千円ですってね、定期券が。それは大変なものです。それでもやっぱり通学しているんですね。これ、まだ上がる。大変な問題ですよ。私は、これはもう国鉄の値上げは限度に来ているだろう。大臣は、自分の任期中はもう値上げやらぬと、もう値上げはこれでやらぬと、あとは国鉄自身の努力と政府からのこの援助というものを――これはむずかしいにしても、その方向で努力をする。値上げもここらで限界だという線を示さないと、私は非常に心配するのは、文字どおり無制限な、歯どめのない値上げの洪水というのが出てくると思うんですよ。私は、その点について、大臣がどう考えているかという問題、これを聞いておきたい。

○国務大臣(森山欽司君) 御承知のように国鉄の再建は、国鉄の徹底した努力、それから政府の行財政を裏づける運賃値上げ、三本立てでやるたてまえになっております。が、私は特に、私鉄等を初めとする他の交通機関との関連から言って、常識的に見て限度ではないかということを、すでにきのうの新聞でもそのこと載っておりますから、一回新聞をよくお読みになられて、私の考え方を御理解ください。

○内藤功君 時間が来たので、私はこの問題の調査、国鉄としていつごろまでにどういう方法でやるか、この点を最後にお聞きしておきたい。――国鉄のいまの問題の調査を運輸大臣としてはどういう姿勢で、いつごろまでにおやりになるつもりか。

○国務大臣(森山欽司君) きょうここに国鉄の幹部おるわけですから、早速にでも私のところへ報告があるはずでございます。おおむね、問題になった事項をいままでのようにほっておくことが許されないような体制に徐々になりつつありますから、恐らくこれからすぐ私のところに報告に来るんじゃないかと、こう思います。

○内藤功君 そのことを私は強く要求をしておきたいと思うんです。  大体ね、これをやはりはっきりさせない限りはおれは判こを押さぬぞと、このくらいの政治姿勢がなきゃいかぬと、私は最後にこれだけひとつ申し上げておきます。

○委員長(竹田4郎君) 本件に対する本日の質疑はこの程度とし、本日はこれにて散会いたします。    午後3時5十分散会

国会議事録検索システムより引用

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