昭和37年度の経済見通しおよび経済運営の基本的態度
昭和36年12月12日 閣議了解
一 三十六年度の経済情勢
わが国の経済は三四年以降世界に類例のない高度の成長をとげ、雇用の著しい改善と国民生活水準の相当の向上を達成した。しかも、この経済成長の過程で国際収支の均衡と卸売物価の安定とが維持され、わが国の外貨準備高は毎年増加を続けてきた。
しかし、三六年に入つて、引き続く経済拡大は予想を上回る勢を示し、輸入の急激一な増加を惹起するに至つた反面、輸出が内需の旺成と海外環境の悪化とから伸び悩んだため国際収支は大巾な赤字となり、三六年度上期中に外貨準備高は約三億九千万ドルの減少をみるに至つた。
かかる事態に対処して、政府は輸出の振興と内需の抑制のための総合的な景気調整策を実施してきたが、その効果が漸く経済の各分野に浸透し始め、卸売物価の下落、生産者製品在庫の漸増、輸入信用状の減少等経済の基調にも変化の兆があらわれはじめた。
今後は引き続き引締め基調を堅持することにより原材料の在庫調整が進み、設備投資も新規工事や附帯工事の繰延を中心として次第に鈍化することが期待されるので、年初来上昇を続けてきた鉱工業生産も第三四半期頃をピークに転じ、卸売物価も上記において高騰の中心となつた木材も含めて全般的に下降傾向を辿ることが予想される。
このような国内経済の沈静化に伴つて、下期の輸入は漸次減退傾向を辿ることが予想されるが、輸出はなお伸び悩みに状況にあるため、下期の国際収支は米国市銀からの借款を除けば依然三億七千万ドル程度の赤字が見込まれ、国際収支の改善は三七年度の課題として持ち越されざるをえない状態である。
三六年度には、経済の予想以上に急速な拡大の結果として、国際収支の大巾な赤字のほか、輸入の激増から主要港湾における滞船が著しく増加し、大都市における道路、交通事情が極度に悪化するなど社会資本の立ち後れが顕著となり、また旺盛な労働需要の増加はわが国の雇用事情を改善し、大企業と中小企業との賃金格差の是正に役立つた反面、熟練労働者や技術者の不足を中心として労働力不足がみられさらに、サービス料金、食料品等の値上がりにより消費者物価が相当の上昇を示すなど経済の各分野における不均衡が目立つてきた。
二 三十七年度の経済運営の基本的態度
三七年度における経済運営の基本的態度としては、輸出の振興と内需の抑制により下期中に国際収支の均衡を達成することを第一義的目標とし、同時に、当面の経済の不均衡の是正を図りつつ、長期にわたつてわが国経済が均衡ある発展をするための基盤の整備に努めるものとする。
1 わが国経済が長期にわたる景気後退におちいることを回避するためには、輸出の増大が必要不可欠の条件であるので、わが国の輸出をめぐる海外環境には楽観をゆるさないものがあるが、あらゆる施策を集中して輸出の振興に努力するものとする。なお、貿易外収支の改善についても輸出に準じ極力努力するものとする。
2 財政金融政策を中心とする国内経済は、国内需要を抑制し、輸入を沈静させることを主眼とし、引締め基調を堅持する。
なお、この際中小企業、農林水産業等二重構造問題をかゝえているわが国経済の特殊性にかんがみ、引締めの影響が弱い分野にしわ寄せされることのないよう慎重に配慮するほか、経済情勢の変化に即応する労働力移動の円滑化等の雇用対策の強化を図り、無用の摩擦や混乱を生ぜしめないよう努力するものとする。
3 民間設備投資は、企業の合理的な投資調整および金融機関の慎重な融資態度を期待するとともに、政府としては内需抑制の見地から行政指導により極力これを抑制するよう努力する。この際、不急のビル建築等については現行の抑制措置を引き続き推進する反面、三七年度の極めて大きな課題である自由化への準備体制の確立や電力等当面の隘路の打開のためとくに緊急を要する部門については、重点的な選別投資が確保されるよう配慮する。
なお、設備投資に当つては、極力国産機械が使用されるよう配慮するものとする。
4 消費者物価の上昇傾向にかんがみ、消費物資の供給力の増加、流通秩序の改善等を図るとともに公共料金の値上げや一般の便乗的値上げはこれを極力抑制して、消費者物価の安定に努め、中小所得者の負担軽減に重点をおいた減税の実施、社会保障対策の一層の充実とあいまつて国民生活の安定と向上に資することとする。
5 当面の政策目標である国際収支改善のためには、引締め基調の堅持が必要であるが、同時に所得倍増計画の第二年度として、次に掲げる長期的な課題の解決のため、十分な配慮を払うものとする。
(イ) 産業基盤の強化、生活環境の整備、国土の保全等立ち遅れた社会資本の充実を図る。
(ロ) 産業構造高度化への誘導を進める。
(ハ) 貿易と国際経済協力の推進に努める。
(ニ) 科学技術の振興と人的能力の拡充を図る。
(ホ) 農林水産業における基盤整備、構造改善等基本的施策の推進、中小企業における近代化、組織化ならびに産業の適正配置の促進等による地域間格差の是正等により二重構造の緩和を図る。
三、三十七年度の経済見通し
1 三七年度のわが国の輸出をめぐる国際環境は、昨年来調整過程にあつた米国経済が本年春頃から急速に上昇の方向に向かつており、来年度にもおおむね上昇傾向をつづけることが予想され、低開発諸国も次第に停滞を脱するものと期待されるが、他面、西欧における経済拡大テンポの鈍化、米国のドル防衛対策や西欧の対日差別待遇の問題、地域的経済統合の強化の動きなど、相当きびしいものがある。
しかし、国内においては、内需の旺盛から輸出意欲の低かつたこれまでの状態にくらべ、三七年度にはぼう大な設備投資による生産能力の増大と内需の停滞傾向とから輸出圧力がかなり強まるものとみられるので、国を挙げて輸出伸張のために努力すれば、伸び悩んだ三六年度の輸出額約四一億ドルから四七億ドル程度への伸びは必ずしも達成不可能ではないと考えられ、また、あらゆる努力を払つてもこの程度の伸びは確保する必要がある。
2 三七年度下期中に国際収支の均衡を達成するためには、このような輸出の伸びを前提としても、ここ三年来の高い経済の成長率を三七年度には鈍化させて、急激に増大した輸入を沈静させる必要がある。
三七年度における輸入は、自由化に伴う工業製品等の増加や既に発注済みの機械類の入着増加等が見込まれ、また、輸入価格の低落も期待できないので、三二年当時のような輸入規模の大巾な縮小は見込みえないが、引締め政策堅持に伴う在庫の圧縮や鉱工業生産の停滞を反映して原材料等が減少し、輸入規模は総じて三六年度の水準以下にとどめることができるものと思われる。
3 輸入が前記のような沈静を示してくる過程において、国内経済では、まず在庫投資が金融の逼迫を反映して急速に減少することが見込まれ、また、これまで著しい増勢を続けてきた設備投資も民間の自主的規制や政府の行政指導により次第に沈静し、卸売物価や生産もこれに伴つて漸落ないし停滞を続けることが予想される。
(表省略)
一方国際収支の改善とあいまつて、三七年秋までに貿易、為替の自由化を大巾に促進することとしているが、これは景気調整の振興とあいまつて経済全般に種々の影響をもたらすことが予想されるので、三七年度の国内経済の推移については慎重にその動向を注視する必要がある。しかしながら、総合的対策を民間各界の協力をえて円滑に推進することができ、在庫の調整や設備投資の繰延べが進行するとともに、輸出が順調に増加すれば、国内経済は長期にわたる景気調整過程を経ることなくゆるやかに上昇に転ずることが期待され、国民総生産は約一七兆六千億円に達し、本年度から実質五・四%程度の成長となると見込まれる。
4 この場合における経済の主要な項目を、三六年度と比較して概観すれば、おおよそ次のようなものとなろう。
(1) 需要面についてみると、個人消費支出は、賃金面では初任給の上昇を考慮しても伸び率の鈍化が見込まれるが、減税や社会保障の充実等の施策も行われるので、全体としては、なお堅調に推移することが予想され、年度を通じて八%強の上昇が見込まれる。
設備投資は、自由化を控えての合理化、近代化投資や新技術の企業化のための投資等がかなり根強いものもあるが、三六年度後半からの諸抑制施策の一層の推進により次第に沈静することが予想されるので、前年度を若干下回る水準にとどまるものと見込まれる。
また、在庫投資は、三五年度後半から三六年度前半にかけて著しい増加があったものと推測されるが、少なくとも上期中は三六年度末から引き続き極めて低調に推移することが予想されるので、年度後半に入つてから若干増加することを見込んでも三六年度にくらべ大巾な減少となろう。その他、個人住宅建設はやや伸び率の鈍化が見込まれ、また、政府支出は三六年度の規模をある程度上回ることが予想される。
(2) 以上のような需要に対応し、鉱工業生産は、消費の堅調を反映した耐久消費財、合成繊維等の部門では引き続き強含みで推移することが見込まれるが、全般的に伸びがかなり鈍化するので、前年度比五・五%程度の伸びにとどまるものと予想される。
また、農林水産業については、台風の影響等により多少減収した本年にくらべ三七年産米はかなりの増収が期待され、また、本年減収をみた果実、野菜等についても増収が見込まれるほか、畜産等も順調な伸びが期待されるので、おおむね四%の上昇が見込まれる。
国内輸送については、旅客六%、貨物五%程度の伸びが見込まれるが、輸送能力を予定通り増強できれば需要の増大に対応しうるものと思われる。なお、大都市の一部で発生している交通難は早急な緩和を望み難いが、本年度主要港湾でみられた滞船等の現象は三七年度には若干緩和される見通しである。
(3) 次に、国際収支は輸出四七億ドル、輸入四八億ドルと見込むと、運輸等貿易外収支を含めた経常収支ではなお二億八千万ドルの赤字となるが、米国市銀からの二億ドルの借款の反済などを除外して計算すれば、総合収支において年度間約一億ドルの赤字にとどまり、国際収支は三七年度下期中に均衡を達成しうるものと思われる。しかしながら、前記借款の返済等を考慮すると、その間における対外支出準備の確保については特段の配慮が必要である。
(4) 物価面では、卸売物価は需要の減退と生産能力の拡大により、三六年度後半から引き続き軟調に推移するものと予想されるが、消費者物価は、消費支出が増大する傾向にあり、サービス関係などに若干の上昇が見込まれるので、強含み横ばいに推移するものと見込まれる。
(5) 雇用面では、経済の成長率は鈍化してくるので、離職者なかんづく中高年令者の再就職について十分な配慮が必要であろうが、新規学卒者の就職は順調に推移し、全体としては八四万人の雇用増加が見込まれる。