日本国有鉄道私見 鉄道ジャーナリスト、加藤好啓ことblackcatが検証する労働運動史

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こちらでは、blackcatの思索帳で書かせていただいている、国有鉄道労働運動史、タイトルもシンプルに「国鉄労働運動史」と変更の上、こちらでindexを作成することとしました。

  1. 国鉄労働組合史詳細解説 31
    70年安保から、成田闘争へ
    国労に限らずこの頃は、学生による過激派と呼ばれる全学連、革マル派、中核派、革労協等の団体もしくは、組合の中に入り込んで活動を行っていたと思われます。
    岸信介首相とアイゼンハワー大統領との間で署名された、新安保条約は(1960年(昭和35年)1月19日)締結、同年6月23日に発効しており。新安保条約ではその期限を10年とし、以後は締結国からの1年前の予告により一方的に破棄出来ると定めたていますが。
     当条約は締結後10年が経過した1970年(昭和45年)以後も破棄されておらず、自動更新と言う形で現在も効力を有しています。
  2. 国鉄労働組合史詳細解説 32
    昭和40年代、国鉄財政の悪化と国の助成について
    国鉄の財政は昭和39年に赤字になったのはみなさんご存知ですが、昭和35年頃から積み上げた黒字による内部留保があったため、昭和40年度までは積立金を取り崩すことで辻褄を合わせることがでいましたが、昭和41年には積立金も枯渇し、名実ともに赤字となってしまいました、昭和40年に適切な値上げが行われていれば赤字は解消でいる可能性がありました。
    あくまでも歴史上のIFにすぎませんが、当時の国鉄は運賃の値上げ自体も独自に行うことはできませんでした。
  3. 国鉄労働組合史詳細解説 33
    マル生運動と国鉄労働組合
    本日も、国労の資料を底本として労働運動について考えてみたいと思います。
    国鉄の一つのターニングポイントは、スト権ストですが、実際には国民のためと銘打って行ってきたストライキも結局は国民に見放されていたのは国鉄そのものではなくて国労・動労であったと言う落ちが付くのですが、そうした国労の一時的な天下のような時代を、まねく原因を作った事件が生産性運動でした。
  4. 国鉄労働組合史詳細解説 34-1
    マル生運動の始まり 総裁交代と新しい国鉄をめざして
    国鉄総裁が、石田禮介氏から磯崎叡氏に交代、新しい方策として、マル生運動が生産性本部の協力を得て導入されたことは前述のとおりです。
    国鉄における職員局で当時「職員局能力開発課長」として国鉄の生産性運動の陣頭指揮された、大野光基氏の著書「国鉄を売った官僚たち」から何項目か引用させていただきます。
  5. 国鉄労働組合史詳細解説 34-2
    国鉄における「マル生運動」とは具体的にどのようなものであったのかを私の記憶をとどりながら書いてみたいと思います。(^-^;
    国鉄がマル生運動を導入しようとした昭和45年から昭和46年と言うのはどのような時代だったのでしょうか。
  6. 国鉄労働組合史詳細解説 35
    国労と全電通の見る組織保存の考え方
    国鉄が財政再建計画の一環で導入した生産性運動は、国労組合員や動労組合員の減少を招き、鉄労組合員を増やすという結果を生みました。
    国労とすれば「組合員の減少=組合費の減収・組織力の低下」につながるわけですから何としても阻止する必要がありました。
    しかし、そこで思い起こされるのは、同じように総評に所属しながらも組織内分れるも起こさず一枚岩で推移した、全電通(現在のNTT労組)との違いです。
  7. 国鉄労働組合史詳細解説 35-2
    国労と全電通の見る組織保存の考え方
    国鉄が財政再建計画の一環で導入した生産性運動は、国労組合員や動労組合員の減少を招き、鉄労組合員を増やすという結果を生みました。
    国労とすれば「組合員の減少=組合費の減収・組織力の低下」につながるわけですから何としても阻止する必要がありました。
    しかし、そこで思い起こされるのは、同じように総評に所属しながらも組織内分れるも起こさず一枚岩で推移した、全電通(現在のNTT労組)との違いです。
  8. 国鉄労働組合史詳細解説 36
    所得倍増計画と経済成長
    昭和35年【1960年】時の首相、池田勇人首相が提唱した国民所得倍増計画を策定し、経済優先の路線を進むこととなりました。
    国鉄もそれに呼応するかのように老朽資産の更改とともに輸送力の増強にも力を入れることとなり東海道新幹線の建設などもこれに呼応して作られたと言っても過言ではありません。
  9. 国鉄労働組合史詳細解説 36-2
    上尾事件とは?
    最初に上尾事件とはどのような事件だったのか簡単に振り返ってみたいと思います。
    上尾事件は、、1973年(昭和48年)3月13日に旧日本国有鉄道高崎線(現在の東日本旅客鉄道高崎線)上尾駅(埼玉県上尾市)で旅客が起こした暴動事件で、連日の動労による順法闘争、(1)列車の安全運転に関する規程を厳格に守って列車を遅延させ、運行を混乱させる安全運転闘争でした。
  10. 国鉄労働組合史詳細解説 37
    石油ショック(もしくはオイルショックと呼ばれる場合もあり)ますが、これは二つの側面がありました。
    中東戦争により、原油の公定価格上昇並びに経済制裁などを受けたこと。
    当時の日本は、石炭から石油への主たるエネルギー源を1960年頃から置き換えており、73年頃はエネルギーの殆どを石油に頼っていたためその影響をまともに受けたこと。
  11. 国鉄労働組合史詳細解説 38
  12. 国鉄労働組合史詳細解説 39
  13. 国鉄労働組合史詳細解説 40
  14. 国鉄労働組合史詳細解説 41
  15. 国鉄労働組合史詳細解説 42
  16. 国鉄労働組合史詳細解説 43
  17. 国鉄労働組合史詳細解説 44
  18. 国鉄労働組合史詳細解説 45
  19. 国鉄労働組合史詳細解説 46
  20. 国鉄労働組合史詳細解説 47
  21. 国鉄労働組合史詳細解説 48
  22. 国鉄労働組合史詳細解説 49
  23. 国鉄労働組合史詳細解説 50
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